先の記事で、救急で入院する前にまるで何があったか見てたようなことを呼吸器科の先生に言われて、あれ?って思った、みたいなことを書きました。以下当時のメモからの抜粋・編集です。
2015年11月23日(月)、勤労感謝の日でお休みでしたが、妻が体調悪そうだったので洗濯その他家事を引き受けてました。
翌日は博多に出張で、他のメンバーは泊まりだったのですが、妻が心配で、さっさと帰宅しました。
水曜はお休みして家に居て洗濯とかあれこれ家事をしてました。その夜。妻の気配で目を覚ましたのですが。
眠れない、自分が2〜3人居るような気がする。夢と現実の境がはっきりしないの、と。
木曜、出社して、妻が心配でお昼に様子を見に帰宅。友人と電話で喋ってました。よかった、と思ってたら、疲れたのか14:00頃眠ってしまいましたので、再度出社。
その夜、金曜日の03:00、声を掛けられて起きたのですが、眠れない、は、いいとして、頭がおかしい、と言う。二人でリビングに行って、コーヒーを飲みました。落ち着いたので、寝室へ。
03:30頃、妻が起きて、やっぱり変。病院に行く。と。
04:45、膠原病の診断をした病院に電話したら、病院の開く08:30に来てください、と。
目覚ましを07:00にかけて寝たんだけど、06:00には妻が苦しいと訴え始めた。06:30、ベッドで右手を上げて、「たすけて。。。たすけて。。。」と。声をかけても、何か聞いても、たすけてしか言わなくなったので、119番に掛けた。
始めは、救急の人に事情を話して、先の病院に連絡を取ってもらった。
意外にも、処置が出来ないので、受け入れられません、という応えだそうで、救急も困ってしまい、どうしますか?と。
もちろん私は、どこでもいいですから、受け入れてくれるところにお願いします、で、最初に入院することになった、膠原病を診断したところとは別の病院との数年に渡る付き合いが始まったのです。
断った病院は、この近辺では、いい病院として聞いてましたが、後でその理由もわかりました。救急は別なんだな、ということも知りました。
もちろん断った病院も救急病院の看板出してます。私は、厚労省なのか県なのかわかりませんが、救急病院の看板下ろさせろ、と言いに行こうか、とか、妻に何かあったら訴訟を起こそう、とか、文春に記事にしてもらおうとか、しょうもない怒りで頭がぐるぐるでした。証人もいましたしね。救急隊員の人達も首を捻って困ってましたから。
いや、そんなのどうでもいいですね、とにかく妻は、自分で自分が変だ、と訴え、しまいには、タスケテ、しか言わなくなり、救急車に乗ったあと、隊員さんが酸素マスクをあてがってくれたんですけど、そのすぐ後に白目を剥いてしまい。。
病院に着くまでの30分、○○ちゃん、ねるなっ! 起きて起きて!、と声を掛け続けてました。
酸素マスクがダメだったんです。後から知りました。救急もそんなのわかんないですよね。。