抜書的読書法(哲学篇14)― モンテーニュ(七) 哲学の方法としての旅 | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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自身の領地であるモンテーニュ村の小塔内でのほぼ十年間に及ぶ「引きこもり」生活の後、モンテーニュは旅に出る。一五八〇年六月、村を後にする。四十七歳の時のことである。それから一年半ほど、家族からも、居城からも、生まれ故郷からも離れる。それは、しかし、まさに「己自身」に近づくためであった。

ちょうど『エセー』のように、モンテーニュの旅には、予め立てられたはっきりとした目的や計画があるわけではない。風の吹くまま気の向くまま、むしろ自分がこれから発見するであろう事物について、何らの予備知識も持とうとはしない。外国で自分が探そうとしているものを自分でもよくわかってはいない。

とはいえ、モンテーニュは、その旅が、ちょうど自分が十年間書き続けた『エセー』のように、あれこれのテーマの間を移ろい、その移ろいを通じて「己自身」を発見するものでなければならないと考える。

モンテーニュは、旅というものを、他者との出会いを通じた自己への回帰と考える。何にもまして、他者、外つ国の人々、彼が出会う人たちにモンテーニュは関心を持つ。出会った人々の中には、公爵、司祭、宗教改革者、果は教皇まで含まれている。これら異なった環境の中での出会い、他者との対面、見知らぬ人たちとの道行などが、旅行者に自身に固有な「自己」を形成させる。旅の経験において、モンテーニュは己自身に従って生きるという「精神的実践」を実行しているのだ。