抜書的読書法(哲学篇13)― モンテーニュ(六)「思想の文学的形態」(承前) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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昨日紹介した林達夫の「思想の文学的形態」というエッセイの初出は、『思想』一九三六年五月号である。西田自身それを読んで共感し、林達夫宛に読後感を記した礼状を送っている。ただ、些細な事だが、一つよく事情がわからないことがある。西田の礼状の日付は、同年の一月二十五日になっていて、『思想』五月号が発行される数ヶ月前である。原稿の段階で林が西田に発表前に感想を乞うたのでもあろうか。エッセイの文中、「西田幾多郎先生」とあるから、本人に読まれることを意識して書いたのは間違いない。

それはともかく、この西田の書簡は、西田の思考方法の特徴を自ら語っている文章として、よく引用される。久しぶり読み返してみて、感動を新たにしたので、その記録として、ここにもその全文を引用しておく。

 

お書き下さつたものを拝見いたしました。他と異なつた面白い着眼の仕方と存じます。自分の事などいふのはをこがましいが私は大体の考をもつて書き始めるのですが進むに従つて私にも思ひもかけない様な考が出て来るのです。本当に書くことが考へることゝなるのでせう。生命の源と云つた様なものです。強いてそれを形成的に調べようとすればどうも嘘になる様に思はれてなりませぬ。それでゐて漫然といろいろの事を考へて居るのではなく何十年同じ問題をひねくつて居る様なものです。人はそれを繰返しといふが私はそれが一度一度新な意味を有つて居ると思ふのです。大言壮語の様ですが昔からの哲学は未だ最も深い最も広い立場に立つてゐない。それを摑みたい。さういふ立場から物を見物を考へたい。それが私の目的なのです。体系といふ事はそれからのことです。私を批評する人は言葉についてそれを自分の立場から自分流儀に解釈しそれを目当として批評して居るので私には壁の彼方で話して居る様にしか思はれないのです。そしてそれ等の人の立場といふものはこれまでのありふれた先の見え透いた立場としか思はれないのです。

ベルグソンが生命の熔鉄が流れ出るとすぐクラストができるといふがクラストの様な立場としか思はれないのです。つまりこれまで私のかいたものは草稿の様なものです。書き了つた後これを書き直したらと思ふのですがもうその時は次の問題が待つて居るので御座います。かくして私は何処までもさまよってゐます。私のかいたものが何にもならないかも知れない。或は後の何人かの立場となるものかも知れない。私には唯私の途を進み行く外ないのです。

一月廿五日  西田幾多郎  林達夫様机下

 

この書簡を読むと、ピエール・アドが言う意味での「精神的実践」を、西田もまた、モンテーニュとはまた違った仕方で、「書く」ことによって日々実行しようとしていたと言えるのではないかと思う。