クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(九) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

 

「知られざる東京」と題された文章は、『悲しき熱帯』最新の日本語版のための序文。中公クラシックス『悲しき熱帯』Ⅰ、二〇〇一年、三~九頁。この文章には、本書のそれまでの文章の中ですでに言及されている論点がより簡潔な仕方で繰り返されいるだけなので、その意味では特段注意を引くような箇所もないのだが、日本を過分に賞賛するその最後の段落を読むと、もしこれを今日の日本人が聞かされたら、そこに含まれた歴史認識の誤りは差し引くとしても、いったいどれだけの人が、顔を俯けずに、あるいはいたたまれない思いをせずに、聞いていられるだろうかと、自分自身のことも含めて、問わないではいられない。

 

『悲しき熱帯』を書きながら、人類を脅かす二つの禍 ―― 自らの根源を忘れてしまうこと、自らの増殖で破滅すること ―― を前にしての不安を表明してから、やがて半世紀になろうとしています。おそらくすべての国のなかで日本だけが、過去への忠実と、科学と技術がもたらした変革のはざまで、これまである種の均衡を見出すのに成功してきました。このことは多分何よりも、日本が近代に入ったのは「復古」によってであり、例えばフランスのように「革命」によってではなかったという事実に、負っているのでしょう。そのため伝統的諸価値は破壊を免れたのです。しかしそれは同時に、日本の人々、開かれた精神を長いあいだ保ってきた、それでいて西洋流の批判精神と組織の精神には染まらなかった日本の人々に、負っています。この二つの精神の自己撞着した過剰が、西洋文明を蝕んできたのですから。今日でもなお、日本を訪れる外国人は、各自が自分の努めをよく果たそうとする熱意、快活な善意が、その外来者の自国の社会的精神的風土と比べて、日本の人々の大きな長所だと感じるのです。日本の人々が、過去の伝統と現在の革新の間の得がたい均衡をいつまでも保ち続けられるように願わずにはいられません。それは日本人自身のためだけに、ではありません。人類のすべてが、学ぶに値する一例をそこに見出すからです(128-129頁)。

 

Il y aura bientôt un demi-siècle, en écrivant Tristes Tropiques, j’exprimais mon anxiété devant les deux périls qui menacent l’humanité : l’oubli de ses racines et son écrasement sous son propre nombre. Entre la fidélité au passé et les transformations induites par la science et les techniques, seul peut-être de toutes les nations, le Japon a su jusqu’à présent trouver un équilibre. Sans doute le doit-il d’abord au fait qu’il soit entré dans les temps modernes au moyen d’une restauration et non comme, par exemple, la France, au moyen d’une révolution. Ses valeurs traditionnnelles furent ainsi protégées d’un effondrement. Mais il le doit aussi à une population longtemps restée disponible, abritée de l’esprit critique et de l’esprit de système dont les excès contradictoires ont miné la civilisation occidentale. Aujourd’hui encore, le visiteur étranger admire cet empressement de chacun à bien remplir son office, cette bonne volonté allègre qui, comparés au climat social et moral des pays dont il vient, lui semblent des vertus capitales du peuple japonais. Puisse celui-ci maintenir longtemps ce précieux équilibre entre traditions du passé et innovations du présent ; pas seulement pour son bien propre, car l’humanité entière y trouve un exemple à méditer (p. 155-156).

 

この文章が発表された年アメリカで同時多発テロが発生した年から、すでに十四年が経過している。人類は、レヴィ=ストロースが恐れていた方向に、後戻りのきかない絶望的な仕方で、しかもますます速度を上げつつ、盲進しているようにしか、私には見えない。人類学の世界的な巨匠であり二十世紀最高の知性の一人がこのようにナイーヴとも見える仕方で表明した日本と日本人への切なる願いは、誰にも聴かれることなく虚空に消えていってしまいそうだと懸念するのは、あまりにも悲観的にすぎるであろうか。