2-最後期西田哲学における〈種〉の問題
2. 1 歴史的生命の論理の中へ〈種〉概念を導入することに伴う困難(1)
内と外と整合的に、即ち内的環境と外的環境と調和的に、種的形が形自身を維持する所に生命があるのである(全集第十巻二五五頁)。
絶対現在の世界において、何が形一般から種的形への移行を可能にしているのか。生命の一般的定義は、生命現象の必要条件しか与えず、進化する多様で共存的な種という形で生命が己を差異化するという事実を説明するには十分ではない。ところが、「生物は何処までも種的でなければならない」(二五六頁)と言うとき、西田は、明らかに、種に対して他のものに還元不可能な、それ固有の身分を与えている。種の概念は、全体性と個体性との間の、媒介的で、しかし決してそれらに対して副次的ではない役割を果たす概念として導入されている。しかも、その導入は、種に関しての実体論も唯名論も同時に避けながらである。
一九三七年に書かれた論文「種の生成発展の問題」において、西田は、種を、「固定せるものではなく、歴史的世界に於て生成し発展し行くもの」(全集第八巻一八三頁)と定義している。つまり、西田は、種を可変的であり、進化しうるものとして考えており、非歴史的な恒常的自己同一性を有った実体とも、経験世界で判別された様々な生物を分類するために思考能力によって構成された抽象的範疇とも考えていない。次の一節を読むとき、種は、生命の世界において、個体よりもむしろ重要な位置を占めているように思われる。
種とは歴史的世界に於て如何なる役目を演ずるものであるか。種とは歴史的世界に於て主体的に働くものである。歴史的世界が動き行くといふことは、いつも種といふものが主体となつて環境を変じ行くことである。種とは与へられた世界を変じ行く形成作用である。我々の現実のパラデーグマである。生物の種といふこのから、歴史的種即ち共同的社会に至るまで皆然らざるはない。
併し歴史的世界に於ては、単に主体が環境を限定するのではない、逆に環境が又主体を限定するのである。人間が環境を作り環境が人間を作ると考へられる。それは生物進化に於ても同様である。歴史的世界に於ては、形相といふもその外にあるのでなく、それもその世界から生まれるものでなければならない。形相が質料を構成するが、又質料から形相が生まれる(同頁)。
ここに見られるのは、種の最も一般的な定義である。その定義は、生物的種だけではなく、「歴史的種」としての人間社会にも適用される。この二つの種は、それぞれ生物的生命と歴史的生命とに対応する。最後期西田哲学の根本概念の一つは歴史的生命であり、したがって、その生命論においては、歴史的種が生物的種よりもより重要な位置を占める。しかし、歴史的種という概念は、生物的種をモデルとして構想されており、その意味では、生物的種がより基礎的な意味での種であると見なすことができる。そこで、私たちはまず、この生物的種を西田がどう定義しようとしているかを見ることによって、最後期西田哲学における種の概念の基礎的な意味を確定することから、本章第二節の考察を始めることにしよう。