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3 歴史的生命の論理(2)
西田が自らの生命論を展開するにあたって、ホールデーンと並んでしばしば参照しているのが、生理学の分野での古典的権威であるクロード・ベルナールである。西田は、クロード・ベルナールが『実験医学研究序説』(Introduction à l’étude de la médecine expérimentale,
1865. 邦訳『実験医学序説』岩波文庫、1938年、改訳版1970年)で主張する決定論の固有性を的確に捉え、それを明確に機械論から区別している。
我々の生命は、主体が環境を、環境が主体を、主体と環境との相互限定にあるのである。故に生理学者は、有機体が内と外とに環境を有ち、内と外との整合的に、種的形が自己自身を維持する所に、生命の事実を見るのである。決定論と云つて居る区別している・ベルナールに於て、既にかゝる考に到達して居る(実験医学序説)。曰く生命現象も物理化学的現象の如く決定論的である。併し生命現象に於ての決定論とは、単に他に比して極めて複雑な決定論と云ふのではなく、同時に調和的に階級づけられた決定論を云ふのである。生命をば、自己の尾を噛んでいる蛇に喩えた古画は真に能く生命の真相を穿ったものであると云つて居る(全集第十巻二五〇-二五一頁)。
『実験医学序説』に依拠しながら、西田は、クロード・ベルナールの生命現象の決定論を次のようにかなり忠実にまとめている(同巻二五一頁)。
私たちの身体は、生殖細胞から細胞分裂によって形成された多数の細胞からなっている。私たちの身体は、全体的一の自己形成であるが、それと同時に、その全体的一を形成している細胞はそれぞれにその独立性を有し、それぞれに生きている。したがって、それぞれの細胞は、生きた単位として機能し得る。全体的一が生きているのは細胞が生きている限りだが、その逆も真である。全体的一は、外的な物質的環境を、細胞によって細胞のために同化するが、それは細胞という多数性へと自己限定することによってである。環境の同化とは、物質を有機体内に取り込むことによって、生きた全体的一を形成することにほかならない。物理化学的レベルでは、細胞は環境と相関的である。しかし、細胞は、何らかの物理化学的現象に還元されてしまうことはなく、生きた全体的一との関係なしには存在し得ない。生命は、全体的一と個体的多との、主体と環境との、内と外との矛盾的自己同一にほかならない。クロード・ベルナールの決定論は、機械論ではなく、「現象の決定論」である。それは、生命の諸現象の近接原因を、つまり、生命現象の出現の決定原因を探究するための方法論的な決定論なのである。