習慣論(1) | 内的自己対話-川の畔のささめごと

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先月5月、博士論文の審査員の一人として公開審査に参加したが、そのためにそれまでの一ヶ月間、その論文の主たる研究対象であるメーヌ・ド・ビランとラヴェッソンの著作を読み返していた。両者ともに自分の博士論文でも取り上げた哲学者であったこともあり、改めて興味深く読むことができた。

今では日本にも幾人かビランの優れた専門家がいるようだが、ラヴェッソンについては聞かない。稲垣良典氏の『習慣の哲学』(1981)で取り上げられていたと記憶するが、ここ数年、日本の哲学界の動向にはまったく疎くなってしまったので、研究の現状についてはよく知らない。ラヴェッソンはフランスでもよく研究されているとは言いがたい。主たる研究書といえば、今でも、Dominique Janicaud, Ravaisson et la métaphysique (Vrin, 1997)を挙げなくてはならないが、同書の初版は1969年にまで遡る。あとはいくつか哲学専門雑誌での特集号があるくらいだろうか。もちろん、ベルクソンの著名な論文集『思想と動くもの』に収録された 「ラヴェッソンの生涯と著作」 を忘れるわけにはいかないが、これが最初に出版されたのは1904年、しかも、その中には『習慣論』については僅かな言及しかない。それに、この「ベルクソン化された」ラヴェッソン論は、かえってラヴェッソンその人の哲学を知る妨げになると批判する研究者も少なくない。

ただ、面白いことに、『習慣論』自体は、いまでも、Fayard, PUF、Rivage poche, Éditions Allia など、数種の版が簡単に入手できる。しかし、一般の読者が予備知識なしに読んでも、取り付く島がないかもしれない。わずか数十頁の著作だが、ラヴェッソンが25歳の時に提出した博士論文なのである。その内容は異様なまでに凝縮されており、その一文一文が注釈を要求すると言ってもよい。またそれに値するだけの深い思想を秘めている。フランス哲学史の中でも、非常に特異な、孤高とも言える位置を占めている。

ついでだが、ビランでさえ、本国フランスでも、Vrinから全集が出てはいるが、專門研究会は一つもない、とビランの専門家である当日の審査員長から聞いて、ちょっと驚いた。その博論の指導教授もビランの専門家だが、自分の大学の図書館にはビラン全集が入っていないと呆れ顔で言っていた。

しかし、日本では、本国フランスではほとんど忘却されている間にも、ラヴェッソンの『習慣論』に注目する哲学者たちがいた。西田幾多郎をはじめとする、幾人かの京都学派の哲学者たちである。西田は『習慣論』の原書を西谷啓治に借りており、野田又夫は『習慣論』(岩波文庫)の「跋」で、その訳業が九鬼周造の勧めによるものであり、田辺元の教示を仰いでいると記している。その邦訳が出版されたのが1938年、ちょうど原著初版の百年後にあたる。西田が生前にその一部を発表することができた最後の、しかし未完の論文「生命」(1944,1945)の最終章で、野田訳に依拠しながらラヴェッソンの『習慣論』を、彼としては例外的な仕方で、丁寧に忠実に紹介しながら、それを自分の哲学の土俵に引きこもうとしている。その西田の哲学的意図については私自身、博士論文で詳細に検討した。

ここはそれを繰り返す場所ではないし、そもそもそれをしたいとも思わない。むしろ今回読み直して考えたことを書き残しておきたい。

ラヴェッソンにおいて、習慣は、世界全体をその内側から、多層・多重な時間空間構成として、それらを互いに明晰に区別しながら理解するための一つの哲学的方法として考察されている。『習慣論』は、その意味で、一つの哲学的方法論なのである。

さしあたり、簡単にその要点をまとめてみよう。習慣は、意志と自然の中間に位置する。習慣が最も弛緩し、ただ繰り返しのみにまで下降すると自然に至り、逆に習慣が生まれる以前の初発の行為にまで上昇するとき、意志に到達する。現実には、人間の通常の経験内では、純粋な自然まで下降することもないし、純粋な意志まで上昇することもない。両者の間の多層・多重な習慣的世界に私たちは生きている。しかし、種々の習慣の形成過程を観察・分析することで、私たちは自然まで下降する途と意志まで上昇する途を自らの習慣のうちに見出すことができるはずである。

このように哲学的方法として自覚された習慣を、昨日問題にした〈繋がる〉ということに結びつけて、明日以降考えていきたい。