今日のお昼は、天下一品で100円引きでラーメン食べました。



さて、大阪マラソンの続きです。


玉造筋を南下します。そして鶴橋。なんとなく焼き肉の匂いがします。


鶴橋は、「やあむ」というところの「鉄板鍋」がおいしい。


「鉄板鍋」というのは、縁の立ったステンレスの鉄板の上で、お肉と玉ねぎ、ニラなどを

甘辛く焼く(そのうち汁が出てつかる)やつで、東京だと「ちりとり鍋」って変な名前が付けられて

います。


「下味原」の交差点を右へ曲がって、千日前通りに入った。片側しか解放されていないが片側だけで

4車線ぐらいあるので、まあ広くて走りやすい。大阪の道は南北が「筋」で東西が「通」になっている。

わかりやすい。


ほどなくして、上町台地を乗り越えるためにちょっとした登り坂になる。


奥武蔵の登りに比べるとすぐに終わってつまらない。


すぐに下りになって、下り終わって最初の給水所があった。スポーツドリンクをいただいた。


難波まで行くと、右に曲がって御堂筋に入った。するとびうっくり。真ん中は走らせてくれなくて、

全員が側道に押し込められた。誘導が間違ってたのじゃないかと思ってます。


「狭い!」。混んでまともに走れなくなった。それでも、めげずに、右に左にかわして前へ進む。


歩道間際がすいているので、歩道間際を走ると、飛び出して応援している人がいてぶつかりそうになる。


途中で少しだけ真ん中の車線が解放されて、左へそれて真ん中の車線を走った。


その時に先頭集団とすれ違った。速かった。そして、またすぐに側道へ押し込められた。


真ん中の車線は10kmの人のゴールへのアプローチになっていた。1車線でいいのじゃないかと思ってた。


淀屋橋まで来て右へ曲がった。少し走りやすくなった。


ガーミンはGPSが狂っちゃって、ペースが良くわからない。10km地点で、5分/kmペースに回復している

のを確かめて、少し安心したが、なんとなく足が疲れていた。


でも、3時間半のペーサーはどこにいるのかわからない。3時間半のペーサーは、自己申告3時間半の人の近くではスタートしていないようだ。もっと前。。


最初の折り返しを折り返して、少し進むと右に曲がって中の島に入った。


中央公会堂がある。そろばんの表彰されたり、大学の卒業式があったりしたのを思い出す。


左に曲がって御堂筋に戻った。

御堂筋を南下する時は、真ん中を走らせてくれた。その代り側道は走行禁止だった。


15キロを過ぎて給水所があった。給水所は1車線をつぶしており、走れるところは1車線しかないように

なっていた。


給水所の後ろは、スタッフの人が動きやすいように決行スペースがとってある。その反動で走る場所は狭い。

御堂筋は真ん中が4車線あって、普段は南行一方通行だから広いのだが、今日はランナーの折り返しで

真ん中で区切ってあるので、そくどうを使わないと2車線しかない。そのうち1車線をつぶすと本当に

狭い。この点は改善してほしい。


15km過ぎてかなり足が疲れていた。序盤に右に左に人をよけ、ぶつかりそうになって急ブレーキが、


ここにきてボディーブローのように効いてきた。


右に曲がって、大阪ドームへ向かう。ここでもう一度奮い立って、歩幅を広げてスピードアップした。


結果的にはこれがとどめを刺すことになって、足は疲れ果てた。


大阪ドームを過ぎて、2回目の折り返しがあった。折り返して、少し行くと、私設エイドなのかお菓子屋さんが

ビスケットみたいなのを配っていた。


食べると口の中の水分を持っていかれそうな気がしたので食べなかった。


ここで、足はもう限界で、スピードを落とした。3時間半はあきらめた。


難波に戻る前に中間点があった。中間点付近で容器に応援する人がいた。


ワイナイナだった。手を振っておいた。


このころには、5分半/kmぐらいまでペースは落ちていた。


23キロに最初の給食があった。バナナだけだったが、バナナを食べた。少し元気になった。


左に曲がって恵美須町へ向かう。南海電車の今宮戎駅の下をくぐる。ホームがコース上になるので、

ホームでランナーの写真を撮っている人がいた。


恵美須町の折り返しを折り返した。ここで、ちょっとだけ「通天閣」が見えたらしいのだが、見落としてしまった。


このあたり、右に左にこまめに曲がる。


27キロで2個目の給食があった。アンパンとクリームパンがあったが誰も食べていなかった。


クリームパンを手に取った。丸々一個切ってないのだったので、クリームパンだけで手がいっぱいで


アンパンは取れなかった。


クリームパンはおいしかった。


カロリーメイトのゼリーもおいてあった。こちらは取っている人がいっぱいいたが取らなかった。


給食はこの程度かと思って、少しさみしかった。しかし、この後に、大給食所が控えていることは知る由も

なかった。



(つづく)