私事ですが・・・
先週の金曜日母方の祖母が76歳でこの世を去りました。
私にとって特別な存在だった祖母なので、悲しみでいっぱいですが、初七日の供養も終わり、気持ちの整理をつけるためにも、祖母への思いを忘れないためにも、書かせていただきたいと思います。
今更ですが、私看護師として日本で6年ちょっと働き、ノルウェーに来ました
もちろん今は専業主婦ですが、息子が大きくなったらまた看護師として働きたいと思っています
その看護師という仕事の素晴らしさを教えてくれて、看護師の道に進むきっかけを作ってくれたのが祖母でした
色々と大変なこともありましたが、看護師になれて本当によかったと思います
学生時代には、自宅から通うよりも祖父母のお家から実習先の病院に通った方が近いことから、祖父母のお家に下宿し、通った時期もありました
私のためにお弁当を作ってくれたり、実習に勉強に頑張れるようにと、お料理が得意な祖母は、毎日おいしいお料理で元気づけてくれていました
看護学生の実習って、本当に大変なのですが、乗り越えられたのは、祖母の力のおかげでもあります
看護師の道を目指していなければ、共通の知人と知り合うこともなかったので、主人と出会うこともなかった・・・かもしれません
今の息子もいなかったかも・・・
そう意味でも、私の人生を幸せな方向に導いてくれたのは祖母だったのかもしれませんね
祖母は5年前に心臓の病気を患い、主治医の先生に
あと(余命)2~3年でしょう
と宣告されました
それでも、入退院を繰り返しながらも、先生方の素晴らしい治療と、祖母の持っている強い生命力と精神力で5年も生きることができました
3年半前の私達の結婚式に出席できるかどうかもわからない状態でしたが、出席することができ、その後病状が悪化しながらも、息子の誕生、祖母からしたら初ひ孫の誕生を見ることができ、抱くことができて、祖母をはじめ、私はもちろん、家族みんなが喜びました
そして、無理だと諦めていた今年5月の妹の結婚式には、車椅子ではありましたが、何とか出席することができて、コレ以上のことはありません
自宅が好きだったので、できる限り入院はしないように、家族でサポートしながら、最後は病院で静かに息を引き取りました。
家族みんなの願いであった
できる限り苦痛のないように
という願いもかない、穏やかに、祖父、母、妹に見守られながら永遠の眠りについたようです
私は、この3年間、ほとんど祖母の力になってあげることができなかったこと、最後を見届けることができなかったことは残念ではありますが、祖母の存在は私にとって大きすぎたため、病気で苦しんでいる祖母を見続けることは耐え難い苦痛だったでしょうし、最後を見届けることも、普通の精神状態を保っていられたかどうか自信がありません
日本を出発し、ノルウェーに戻ってくるとき、
これが最後かも・・・
と毎回思うのも苦しかったですが、この結果が1番私にとってよかったのかもと、1週間たった今思いはじめました
きっと祖母は、私に少しでも辛い思いをさせないように気を使ってこの時期を選んでくれたのかな
あと1ヶ月ちょっとで日本に帰るので、その頃には少し悲しみは癒えているはず
そして、四九日を前に、祖母にお礼を言うことができます
まだまだ悲しみは全く消え去りませんが、来月日本に帰ったら、すぐにでも祖母の元へ行き、大好きだったお花をお供えし、お線香をあげて、今までのお礼を言いたいと思います
父に代筆を頼み、お手紙を棺の中に入れてもらいました
一人残された祖父が今度は心配ですが、私の家族は仲がよく、みんなで協力することは得意なので、今までのように支えてくれることと思います
もちろん、私にできることは何でも協力するつもりです
おばあちゃん、今までありがとう。
長かった闘病生活お疲れ様でした。今までの分、少しゆっくりしてね。
これからも、いつまでもそばで私達のことを見守っていてください。
と伝えたいです
お世話になった病院関係者の方々、いつも気にかけてくださった方々、本当にありがとうございました。
みゆきんぎょ
先週の金曜日母方の祖母が76歳でこの世を去りました。
私にとって特別な存在だった祖母なので、悲しみでいっぱいですが、初七日の供養も終わり、気持ちの整理をつけるためにも、祖母への思いを忘れないためにも、書かせていただきたいと思います。
今更ですが、私看護師として日本で6年ちょっと働き、ノルウェーに来ました

もちろん今は専業主婦ですが、息子が大きくなったらまた看護師として働きたいと思っています

その看護師という仕事の素晴らしさを教えてくれて、看護師の道に進むきっかけを作ってくれたのが祖母でした

色々と大変なこともありましたが、看護師になれて本当によかったと思います

学生時代には、自宅から通うよりも祖父母のお家から実習先の病院に通った方が近いことから、祖父母のお家に下宿し、通った時期もありました

私のためにお弁当を作ってくれたり、実習に勉強に頑張れるようにと、お料理が得意な祖母は、毎日おいしいお料理で元気づけてくれていました

看護学生の実習って、本当に大変なのですが、乗り越えられたのは、祖母の力のおかげでもあります

看護師の道を目指していなければ、共通の知人と知り合うこともなかったので、主人と出会うこともなかった・・・かもしれません

今の息子もいなかったかも・・・

そう意味でも、私の人生を幸せな方向に導いてくれたのは祖母だったのかもしれませんね

祖母は5年前に心臓の病気を患い、主治医の先生に
あと(余命)2~3年でしょう
と宣告されました
それでも、入退院を繰り返しながらも、先生方の素晴らしい治療と、祖母の持っている強い生命力と精神力で5年も生きることができました

3年半前の私達の結婚式に出席できるかどうかもわからない状態でしたが、出席することができ、その後病状が悪化しながらも、息子の誕生、祖母からしたら初ひ孫の誕生を見ることができ、抱くことができて、祖母をはじめ、私はもちろん、家族みんなが喜びました

そして、無理だと諦めていた今年5月の妹の結婚式には、車椅子ではありましたが、何とか出席することができて、コレ以上のことはありません

自宅が好きだったので、できる限り入院はしないように、家族でサポートしながら、最後は病院で静かに息を引き取りました。
家族みんなの願いであった
できる限り苦痛のないように
という願いもかない、穏やかに、祖父、母、妹に見守られながら永遠の眠りについたようです
私は、この3年間、ほとんど祖母の力になってあげることができなかったこと、最後を見届けることができなかったことは残念ではありますが、祖母の存在は私にとって大きすぎたため、病気で苦しんでいる祖母を見続けることは耐え難い苦痛だったでしょうし、最後を見届けることも、普通の精神状態を保っていられたかどうか自信がありません

日本を出発し、ノルウェーに戻ってくるとき、
これが最後かも・・・
と毎回思うのも苦しかったですが、この結果が1番私にとってよかったのかもと、1週間たった今思いはじめました
きっと祖母は、私に少しでも辛い思いをさせないように気を使ってこの時期を選んでくれたのかな

あと1ヶ月ちょっとで日本に帰るので、その頃には少し悲しみは癒えているはず
そして、四九日を前に、祖母にお礼を言うことができます
まだまだ悲しみは全く消え去りませんが、来月日本に帰ったら、すぐにでも祖母の元へ行き、大好きだったお花をお供えし、お線香をあげて、今までのお礼を言いたいと思います

父に代筆を頼み、お手紙を棺の中に入れてもらいました

一人残された祖父が今度は心配ですが、私の家族は仲がよく、みんなで協力することは得意なので、今までのように支えてくれることと思います

もちろん、私にできることは何でも協力するつもりです

おばあちゃん、今までありがとう。
長かった闘病生活お疲れ様でした。今までの分、少しゆっくりしてね。
これからも、いつまでもそばで私達のことを見守っていてください。
と伝えたいです

お世話になった病院関係者の方々、いつも気にかけてくださった方々、本当にありがとうございました。
みゆきんぎょ