ちぇ子の地球が危ないよ。名義でお送りする暇つぶしなんちゃってブログ第一弾。

ね、というわけでございまして。
このブログは(完っっ全に私の気まぐれで)まるでラジオのように語り口調でリスナー(読者)の皆様に語りかけていくというスタンスでやってまいります。
…まぁ後々また気分で形式変わるかもですが。

はいっ。
では本題に入りましょうか!

第一回はズバリ!
「みんな死んでしまえ」を漫画で表現する!
私の漫画論についてですね!

リスナーの皆は、まぁ私の…つまり古美門にちえの漫画を読んでくれた人も多いと思うんですけど…まぁ、そりゃこんなの読んでくれるの大概身内だから。
…でね?リスナーのみんな。
突然なんだけど、殺したい人はいますかー?
私はね、はい、いっぱいいます。
いっぱいいっぱい。
おっぱい。
でね!いや、だってみんなもいるでしょう、殺したい人間の1人や2人や。
私ゃね、とりあえず意味わからないことしかできない大人たちをみんなまとめて殺してやりたい。(爆笑)
…まぁ、そんなところから始まって、しまいには私の身近にいる私より幸せなやつみんなぶっ殺してやりたいってとこまでくるよね、精神状況によっては。(もっと爆笑)

いや、そーなのよ。普通に生きてりゃ殺したい人間なんでいくらでも…ってね。
結局考え直したら間違ってるのよそんな考え方。
それは、わかる。
結局、最終的にはどこに行き着くかっていうと「ボクも死ねー。」ってね。
無気力。ホントに無気力。
恋愛なんてまた惨敗の予感ですよ私は。

ここで本題に戻ってくるんだけど(戻ってきてるか?)、創るひと…つまりクリエイターなんだけど、私はまだこの言葉を自分で自分に使っていいほど出来ちゃないから使いたくないんだけど…の、役割って、そういうものを形にするって事だと思うのよ、個人的に。
いや、こういう言い方をすると世の中の芸術作品全てが陰鬱なね、ニトロプラス監修みたいなものになっちゃうけど。(笑)
もちろん喜びでも、よ?
その時の喜びや悲しみや、そして「みんな死ね」を、目に見える形に変えること、リストカットした時に、それを自分でするだけで終わるんじゃなくて、それを作品に変えちゃうこと。そこにありったけの労力を注いで、それはそれは惜しみなく注いで、作品にして同じ思いをしてる人、あるいは勘違いしてる野郎どもの頭をその作品で思いっきり殴りつけてやることがね、意味だと思うのよ。ホントに。

最近の作品って、薄っぺらいの多いでしょ?
多いよ、多い。
さっきのリストカットの話引っ張り出してくるけど、最近の作品は「どうすりゃリストカットする人の共感が集められるか?」みたいなスタンスで作られてる…つまり根本的に理解がおかしいのよ。共感を集めるのが目的なんじゃないのよ。…それか、リストカットした写真をそのまんまSNSに載っけるみたいな?…そーいう"はしょり"しかないのよ、ホントに。
それは見てて気分を害するだけだから、よくない。それに、リストカットした画像そのものだけだったら誰の手首をどれだけカットしたってどれもこれも同じ画像にしか見えないんだから、それは作品とすら呼べないし。
言っとくけど、娯楽作品は良い。娯楽作品はそこまで深くなくて良いのよ。某週刊少年跳躍のスポーツ漫画とかね。
でも、娯楽作品は芸術作品とは違うもので、漫画にしろバンド音楽にしろ娯楽作品ばっかじゃそのうち文化そのものの息の根が止まるからね?今なんてあんだけないがしろにしてるけど。
そこは、完全にあーいう分野が過資本主義化してる現状がヤバイんだけど、まぁその話は今度するわ。

つまり、私ぁ、あなたがたに言いたい。
こう言いたい。
漫画を読んで、そこに圧縮されて保存されてある作者の感情がページを開けた瞬間に パッ と広がって漂ってくるような、そんな芸術作品レベルの漫画を(できれば娯楽漫画と同じくらい)たくさん読みましょう。

あと、私の漫画を読んで、ページを開いたその1ページ1ページごと、いや、その1コマ1コマごとに私の渾身の「みんな死ね」を感じろ。

最新作、期待して待て。

以上。

今回はこれにてしゅーりょー!
次回のちぇ子の地球が危ないよ。もお楽しみにぃ~!でわでわ~!

脳内EDテーマ
死にたい季節/神聖かまってちゃん