子育ては、信じて始まるか、疑って始まるか で雲泥の差がでる(お勧め動画) | 家族を見つめる(家庭教育)

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日常イズムを通して、家族を見つめなおす

安部浩之作品No,141128



前回「性善か性悪か」というテーマにて
子育てにおいては、通り過ごしてはならない課題として扱いました。
そして、繰り返しますが、その解答として

荀子が唱えた「性善説」が正解。
長き地球人類の歴史の中で
悪性が途中で発生し翻弄されている。


としました。
だから、基本は

本性の善なるを信じて子育てにかかわる

となります。

ここをはき違えはいけません。

同じ子育てでも

子(人)を「信じる」ところから始まった教育(性善)



子(人)を「疑う」ところから始まった教育(性悪)

では雲泥の差を生んでしまう


からです。例えば

●トラブルが発生したとき

疑っていれば、やっぱり、まず「コラ!許せない」となり、
        自分自身がイライラとなり腹が立ってきます。(悪循環)
信じていれば「どうして?」となり、
        どうして彼女(彼)はそう動いたんだろう?
        こちらに問題はないか?環境に問題はないか?(善循環)

●問題なく、頑張っていた時

疑っていれば
        何かあるぞ!あやしいぞ! となり(悪循環)
信じていれば
       「すごいね~」と心から喜べます(善循環)


それだけではありません。疑っている時と信じている時は
当然、表情や語気まで変わります。(これは会社の社員教育においても同様です)

表情



これを、子ども(相手)が感じ取らない訳がありません。

とにかく、子ども(相手)の神性を信じて
かかわる事です。
これは
注意し、意識して自省しなければ、

自然と疑って接している場合が多い

のです。1度、意識して「我が子」(相手)にどういうモードで
接しているか見つめなおして見て下さい。


過去に、こんな お母さんもいました。サラリと、

「疑ってますね~
 でもね
 疑われるようなことばっかりしてるんですよ」

こうなると悪循環が悪循環を呼び

子は写し鏡

ですから、どうなるか?
というと

・子も疑い深くなり → 素直でない
・子も悪い事態を予測しはじめ → 将来、失敗しやすくなる

となります。例え、子が勉強のフリをしてるのが解っても・・・・

「よく頑張ってるね~、その調子、その調子」

とお茶でも差し出せば、子は

「違うんだけどな~、少しは勉強するか・・・」

となる場合もあるでしょう、そうならなくても、一番大きいのは

子どもながらに

親子の信頼関係

を育み始める
のです。これは大きいです。

ウソつきの僕(私)を、まっすぐに信じてくれる、親がいる

という気持ちは、安心感を育て、家庭が居場所と化していくのです。

それだけではありません。

信じられて、成長した子は
将来、人助けが上手になるのです。


なぜっ?
って、当然です。
心が真っ直ぐだから、困っている人を見たら
理屈より前に、
即、行動してしまうようになるのです。

ちょっとした親の接し方で
子供の将来は大きく変わるということです。

どうぞ、そのことを理解して、

・子どもに、どう接していたか?
・子どもに、どんな言葉を掛けてきたか?
・子どもに、どんな表情で接しているか?

見つめなおしてみてください。

これは子育てに限った事ではありません
職場、各種組織団体においても同様です
いつも、ある人物を疑いの目で見ていると
せっかくの、その人の長所さえ見逃してしまいます。
そして、それ以上に大きな負債は
「己の心の不安定」
です。不安定は、非応なく、立腹・イライラ・恨み・・・・・
を産み出し、これは大きいです。
自身の健康まで、むしばまれることになります。

時に、疑わなければならない事もあるでしょう
しかし
決して「疑いモード」を形成するところまで発展してはならない
ということです。そこに公正さを欠き、判断を見誤る事になります。
疑っても
モードは信頼モードにしておくと
かなり精度の高い判断をすることができます。

そのためにも
改めて、長所を見つめ直す
そして
その人物にさえ感謝できる
ところへ自身を誘って下さい。


よろしくお願いします。

最後に、ここでいう
真っ直ぐに育ち、人助けが上手な子
に関連する動画を紹介します。

彼には、見つけたら人をスグに助け
助けられた人の喜びを我が喜びとする
心の豊かさがあります。
それを感じ取っていただきたく思います。


あべ ひろゆき