世間に2説あります。
・性善説(荀子) → 人の本性は、本来、善である。
・性悪説(孟子) → 人の本性は、本来、悪である。
大半は
「性善説が当たり前だろう」
「性善説を信じたい」
というところでしょう。しかし、
報道される悲惨な事件を目の当たりにすると
「やっぱり性悪説なのかな?だから教育が必要?」
という感覚も生まれてきます。
中には
子どもが小さいころは、
子どももパパ~、ママ~とべったりで
親も「可愛い可愛い」だったから性善説。
中学の反抗期くらいから
「何かとウソをつき、反抗し、タメの連発」
となると、性悪説。
とする親もいます。
その本性を問うているのですから、
時期で変化するものではありません。
また、
・穏やかな子を持つ親は性善説を言い
・荒れた子を持つ親は性悪説を言う
という傾向もあります。
さて、答えは
荀子が唱えた「性善説」が正解です。
そして
長き地球人類の歴史の中で
悪性が途中で発生し翻弄されている。
と理解して下さい。
ここを抑えておかないと子育てが混乱します。
例えば
・褒(ほ)めて育てるのか?
・叱って育てるのか?
といった如くです。
この例についていえば、基本は性善説ですから
・褒めて育てる
・短所の指摘よりも、長所を伸ばす
が正しいのです。
ただ、途中で発生した悪性に対しては
人生の先を行く者として、厳しく諌(いさ)める
ということが大切です。これが「躾(しつけ)」です。
宗教の世界にも「戒律」があり、
「戒(いまし)め、律し、」歩んでいくのです。
ですから、子どもとしては、
「己の神性を信じて、時に律し、自立を目指す」
というのが正しいのであり、
子どもを主体にすると
親はそのサポータということになります。
よくよく、
ここを肝に据えて「子育て」にかかわって下さい。
そうしなければ、様々な書籍やブログや講演や・・・・で
・ある時は、褒めて育て
・ある時は、厳しく育て
・ある時は、対等でイイんじゃない?と思い
・ある時は、親の権威を振い
とメチャメチャな育児になってしまいます。
ひどい学者やカウンセラー・ヒーラーになると開き直ります。
「これは磁石のN極とS極のようなもの、悪があるから善がある」
と、育児の現場を知らない「たわごと」を言いはじめます。
こうした
「気分屋の育児」
は最悪です。
子どもは敏感に察知して、
「正邪を見極める」
よりも
その日、その日の親の機嫌を伺うようになるからです。
・今日は機嫌悪いから、ホントの事いったらマズイ
・今日は機嫌良いから、ねだって大丈夫
と、その部分に長(た)けてきます。
こうして育った子は、大きくなるにつれて
・常に他の目を気にして落ち着かなくなる
・人にどう見られているかに一喜一憂する
・外面ばかりを気にして、内面を律する事がおろそかになる。
となります。
そのためにも、まず親が「性善・性悪の実態」をキチンと把握し
臨機応変、
褒め、長所を伸ばすを軸にしながらも
時に
不正を正し、自立への導きをする。
よろしくお願いします。
最後に、本項に関連して、また
前回からの「ゆるぎない無私の愛を注ぐ」
という事について
今日はまた関連動画を紹介します。
人間は何人も、
生死に肉薄したギリギリの時、性善に根付き、ゆるぎない愛を注ぐのだ
ということを
感じて頂きたく思います。
これは
2008年の四川大地震の時に
・新華社通信の報道内容
・当時そのことを扱ったブログ記事
などの情報を元に、数年前、当方で作成したものです。
どうぞ、ご覧下さい。
あべひろゆき