居を構える/家族の愛
戦後、日本には物資も食べ物もなかった。悲しいほどになかった。
だから、物を大切にした。食べ物を「ありがたい」と心から味わって食べた。
今は簡単に手に入る、バナナや卵は、高級食材だった。
だから、「豊か」になりたかった。
金があれば・・・・・
物も食べ物も潤沢に揃うと考えた。
それは、間違いではなかった。
そして、皆で足並みを揃えて、教育を徹底し、世界に通用する企業戦士を育成した。
ついに、まれに見る世界的な伸長を遂げ、物にあふれ、予想通り、豊かになった。
ボーゲル教授は「ジャパンアズナンバー ワン」とまで賛嘆した。
こうして、
「金があれば・・・・・」
に奔走したヤマト民族は、
舞い上がった。
求めていた、ささやかな
「物」
を手にしただけで、「金で全てが買える」とまで舞い上がった。
そして、舞い上がった心は、奇妙な外堀を固めた
性の自由・婚前・婚外交渉、同性愛・できちゃった婚・・・・
こうして
輝かしい「夫婦愛」に一撃を刺し、愛をふみにじった。
すると、簡単に家族はガラガラと崩れ、性はいよいよ乱れた。
家族は、同じ屋根の下に居ながら、背を向け、それぞれの世界を築いた。
別居により、年寄りは家からいなくなり、縦軸は崩れ、妻も夫も「金」の為に働き、共有する時間もなくなった。
子供は、部屋にTV・ビデオ・PCを揃え、家族とは別世界を造り、子供部屋の扉は子供の家の玄関になった。
当然、家族の尊敬や信頼は霞(かすみ)のように、ゆるくなり
経済成長率世界一の次ぎに、離婚上昇率も世界一になった。
資料 : 昭和18年以前は内閣統計局「日本帝国統計年鑑第38回」及び「日本帝国人口動態統計」、昭和22年以降は厚生省「人口動態統計」
こうして、
クリエイティブな創造の力が低下し、「生」に対する「感性」まで崩れた。
「感性」が崩れると、手の出しようがなくなる。なかなか戻れない。
正論が空論になる。「素直」や「真心」が揶揄(やゆ)される。
この現実は、あまりに悲しい・・・
言葉の与うる限り悲しい。
天地創世の願いは、今、のどを詰まらせ
言葉にならない涙でこの現実を見なければならない。
それは何という悲しみだろう
人間は一体どれだけの悲しみを歴史に刻んだのだろう。
だから、まず、人間の感性から、順番に復権する。
そのために、
音や色や形をきちんと調査・分析する。
すると、そこに忘れていた美があった。芸術があった。
・蟻が理想社会のサンプルを見せてくれた
・貝殻が住まいの造形美を見せてくれた
・鳥が子育ての素晴らしさを見せてくれた
なんと輝かしいホレボレする地球だろうと思わせてくれた。
よくぞ、可視光線で光りを7色分解して下さいました
よくぞ、空間をふるわせ音階を創って下さいました
と
さらに、音・色・光を通して喜怒哀楽を正常に共有すると
因縁が調整され、悲しみの歴史が精算されることも解った。
今、色・音・形を通して、人の「命の感性・生き方の感性」に働きかけ、あるべき家庭の姿を取り戻していく。
住まいに、その居住性や利便性を追求することは勿論大切であるが
「居を構える」という時、合わせて、心を振り返る節目としてほしい。
この空間で介護がはじまる、この空間で夫婦が愛を育む、この空間で子育てが始まる・・・・・
だからこそ、
夫婦とは何なのか?
親子とは何なのか?
親の愛とは何なのか?
住人の、心1つで、そこが、かけがえのない心安らぐ癒しの空間になるのか、殺伐とした空虚な空間になるのかが決まる。
住まいは物であって、物ではない。地球の空間をお借りして創られた心の住みか。
まず感性を取り戻し、家族から愛を育み、社会を優しさで潤していく
環境免疫学(工法)の願いは、ここにある。