◆癒されない魔の空間 | 家族を見つめる(家庭教育)

家族を見つめる(家庭教育)

日常イズムを通して、家族を見つめなおす

家の健康状態がどうなっているのかは、施主である自分がある程度でも把握しなければなりません。
"家に住まい、家と共に人生を慎ましく送る。"


このことを真摯に捉えたとき、自分の子どものように愛おしく感じるものです。いつも大切に思えば、
自分の身体の異変に気づくように、どこが悪いのか察しがつくものなのです。
しかし、私たちが持つ家への思いは、この時代、便利になればなるほど、薄れつつあります。
本来、家本体にかけるべきお金は、膨大な広告宣伝費に支払われ、更には、大量生産によるコストを
極限まで下げた材料で画一的に作られたパッケージデザインを買わされるはめになっています。
これでは、”買わされている”という状況だといっても言い過ぎではないでしょう。
このことは周知の事実ながら、テレビCM等メディアを使って縦横無尽なる住宅情報が垂れ流され
ることで、


「テレビで宣伝しているから大丈夫だろう」


というイメージ先行型の判断を迫られているのと同じです。
事実、この日本で、企業が生き残っていくためには、広告宣伝は欠かせません。
派手な広告宣伝は、遠心力を呼び、そして求心力を生みます。
”住まいかくあるべき”との本質的な追求はよそに、ただ


「カッコイイなあ」


という感覚(印象)が芽生え、結果として、画一的で個性もなく周辺地域との相互美観もない
”一人ぼっちの家”が建ち続けました。
さて、この一人ぼっちの家たちは、高度経済成長期をきっかけに、膨大な数の近代住宅として
街を、地域を、作ってきたのです。
結果としては、どうでしょう。

少子化、高齢化、そして犯罪の凶悪化など、子どももお年寄りも地域社会も、
故知れぬ時代の圧力に怯えて暮らしているように思えてなりません。
シックハウス症候群、ストレス性疾患、アスベスト問題などなど...。
働き疲れて帰り着く癒しの空間である”家”が、
ストレスを生じさせるだけの孤独で一人ぼっちの家”魔の空間”となってしまっているのです。
暖かな家庭を人生の中心軸と捉え、幸せを願ってきたはずの私たちですが、一体何を間違えてし
まったのでしょうか。