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サンフレッチェ広島ユース

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高円宮杯 流通経大柏準々決勝敗退

2010年10月04日 朝日新聞


高円宮杯 流通経大柏準々決勝敗退高円宮杯第21回全日本ユース(U―18)サッカー選手権大会(日本サッカー協会主催、朝日新聞社後援)の準々決勝が3日、神奈川県厚木市などであり、流通経大柏はサンフレッチェ広島F・Cユースに0―4で敗れた。

 流通経大柏は、前半2分に広島のDF越智翔太のヘディングシュートで先制されると、20分にもMF早瀬良平に右足でシュートを決められた。後半も広島に更に2点を追加され、最後まで反撃の糸口をつかめなかった。


今日は、サンフレッチェユースの歴史について勉強してみたいと思いますチョキ



1993年、Jリーグ が開幕すると、すべてのJリーグクラブは下部組織を持つことが必須となった。サンフレッチェ広島も例外ではなく、この年に下部組織を作っている。当初ハード面で遅れており、特にユースは広島市内で練習グラウンドの確保すらままならなかった。そこへ、高田郡 吉田町 (現安芸高田市)がサッカーを中心としたスポーツで町おこしをする「若者定住促進等緊急プロジェクト」の一環として全面協力することが決定、ユースは育成拠点を吉田町内に置き、町内の吉田運動公園 を練習拠点として活動を開始した。ほぼゼロからのスタートであったが、前身の東洋工業/マツダSC時代から若手を育てることがクラブとして生きる道だという思いから、若手育成のノウハウができつつあり、その後の試行錯誤から以下のような独自の発展を遂げた。

  • トップクラスの環境(全寮制)
吉田町は広島市内から車で1時間半以上かかる遠方にあるため設立開始から全寮制をひいており、マツダ で独身寮運営経験がある稲田稔夫妻を寮長・寮母に迎えた。当初は民家を借りて行っていたが、環境の充実をはかり、1994年にJリーグチームとしては初めてユース寮を新設した。サッカー以外の学業・生活面の指導など人間教育にも非常に力を入れており、さまざまな業種の人物を招いて講話を開いたりしている。ちなみにプロに慣れなかった選手の就職および大学進学率はJリーグユースの中でもトップクラスを誇る。また、1998年に吉田サッカー公園が完成し、本格的に練習を開始、現在に至る。
  • 地元高校との関係強化
所属する全選手を広島県立吉田高等学校 に通わせている。学校での生活態度を逐一報告を受け、成績の悪い選手はペナルティとしてユースの練習に参加させないようにしている。また高校の学校行事に積極的に参加ときには吉田高校サッカー部(ここには広島ユース生は所属していない)にユース監督以下スタッフを派遣し指導に当たるなど、互いに密な関係を築いている。
  • ユース独自のスカウト網
専門のスカウトを置き、若年層の有望株を全国津々浦々まで網羅しカバーしている。この情報量は2004年当時は他クラブを圧倒していた。

このやり方が結果として結びついたのが、森山佳郎 が監督に就任した2003年-2004年である。

2年連続でユース三冠(日本クラブユース選手権高円宮杯全日本ユース選手権Jユースカップ )のうち二冠(ユース戦績参照)制覇、04年に至っては3大会とも決勝進出している。ただ、03年のチームのほうが特に強く、公式戦でわずか2敗のみ(高円宮杯準決勝・静岡学園 戦と後述の天皇杯 1回戦)しかしていない。また、天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会 でも2年連続決勝進出。03年には優勝し、天皇杯1回戦でJ2・水戸ホーリーホック と対戦、延長戦の末惜しくも0-1で敗れている。翌04年にはBチーム主体で全広島選手権決勝へ進出し、広島経済大学 にPK戦の末敗れている。

この時期に在籍した広島ユース生は数多くプロ入りし、トップチームである広島のみならず他のJリーグクラブにも在籍している。

この活躍により広島ユースのノウハウが注目され始める。JFAアカデミー福島 創設にあたり参考にされたり京都サンガF.C. など他チームもこれに追従し2008年現在下部組織に積極的に設備投資してきている。

更に特筆すべきは、吉田町と完全に地域密着 していることである。設立当初からサッカーフェスティバルなど町民との積極的な交流を深めた結果、2000年代以降地域に溶けこんだ。ユースの全国大会決勝では町民が応援に駆けつけたりもしている。