先日は大雨が降って、大変だった神戸です。
その後は梅雨明け宣言して、灼熱地獄化しております。
エアコン全開、マクロスピード!
その、大雨はあっという間に道路に山の土砂を運んで道路が泥川と化してしまいました。
交差点は池!何処が溝で何処が端っこかわかりません。
避難指示やら避難勧告が出たりしましたが、高速道路が閉鎖されて一般道に車が流れ込み、これまた通行止めやらで大渋滞…避難しろと言われてもどぉ〜にもならない事態…
原発事故とかでも同じでしょうね。
結局、初日は身動き全く出来ずでした。
未曾有の大雨でと言うが、神戸を含めた阪神地区では数年に一回は大雨被害が出るし、忘れてるだけで何回か大きな被害が出てる。
その中で大きかった物に「阪大水害」がある。
昭和13年…1938年7月に起こった水害である。
その内のひとつ、芦屋川の開森橋の南側にこの碑が建っているが、80年も経っていると流石に覚えてる人の方が少数派…
ここから、芦屋川の氾濫が起こったそうである。
過去に西宮市の知法院の住職に、二階まで水に浸かる建物多数あって、当時走ってた路面電車の架線にまるで洗濯物を干した様にゴミや木材、そして御遺体が引っかかってたと教えて頂いた。
防災対策も今程整えられてないのもあって遥かに被害は大きかった様である。
大雨から2日後に来たが、水量は多いものの後の治水の効力か問題はない様に見えた。
水害の様子は、谷崎潤一郎の「細雪」にも書かれている。
真偽の程はわからないが、これは当時、山から流れて来た石で作った碑らしい。
コアストーンと言うらしい。この付近の石積みの壁も似た花崗岩が多く使われてるのもその当時のものらしい。
芦屋川沿に何ヶ所かある「猿丸家」の碑、先祖代々芦屋地区や芦屋川の整備、水不足対策に奥池を作ったりした一族だそうだ。
昔から色々あった様である。
開森橋から海側に南下すると阪急電車の芦屋川駅がある。
その手前北側にある「桜橋」歴史的には「開森橋」より古いらしいが、この橋と線路の間に「旧桜橋」の橋脚が残ってる。
護岸の石組みの先が崩れて氾濫した跡らしい。
新しい橋桁も年季が入ってる。
桜橋の親柱にはよく見ると「改」の文字があるが、旧桜橋から改ためられての「改」なのか?
芦屋川は天井川で、西側の駅前広場、旧時計塔跡地を見ると落差が大きいがわかる。
今回は芦屋川は問題無かったが、近くでは被害が出たエリアもある。
永遠の課題かも知れないが忘れずに防災意識を持ちたいものだと考えさせられる事態であった。