最近、江戸城三十六見附やお濠に惹かれています♡
先日は四谷見附から赤坂見附を歩き、一昨日は偶然、四谷大木戸跡碑に当たりました。
市ヶ谷駅構内でも石垣を見ることができると教えていただいたので
今日はそちらから歩いてみました教えていただいたオレンジさん、有り難うございました!!!
地下鉄南北線の市ヶ谷駅構内に、平成元年から八年にわたって発掘調査された、
江戸城外濠跡関連遺跡の発掘成果の一部が展示されています。
雉子橋(きじばし)(千代田区九段南)から出土した石材を使って、
江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積みの技法を再現したもので、
実物の石垣ではないのですが、仕組みがよく分かります。
石を割るには、割りやすいように石の目に沿って石きりノミで「矢穴」を掘り、
これに「矢」と呼ばれる薄い鉄板を差し込み、「玄翁(げんのう)」で矢をたたいて割りました。
石材には、切りだしや石積みを行った藩や石工等の刻印と共に石割の際の矢穴が残っています。
矢穴や刻印は普通は石垣の隠れた面に多く残っていますが、
ここでは展示を目的としているので正面から見えるように積んであるそうです。
江戸城の普請や堀浚い(ほりざらい)等の作業分担もはっきりしていて、
四谷御門~市ヶ谷御門の堀浚いでは、①~④と⑮~⑱は真田家に割り振るなど、
それぞれの石高に応じて決められたようですね。
分かりやすい地図が床に描かれていました。
田安殿・清水殿・・・ここが私の大好きな北の丸公園です~
市ヶ谷駅から出て、すぐ近くにあるのが、
市ヶ谷御門橋台(きょうだい)の石垣石
この石垣石は、江戸城外堀跡の市ヶ谷御門橋台に築かれていた石垣の一部です。
市谷御門の枡形は現存しておりませんが、橋台の石垣は、
現在もその一部が外堀通りの下に保存されています。
外濠公園は、江戸城外濠の土手や濠の跡を利用して作られており、
濠に沿ってJR中央線飯田橋駅付近から四ツ谷駅南側までの約2kmにわたって細長く続きます。
江戸城外堀としては往時の姿をそのままに残す国指定の史跡です。
東京市時代ですね
ボート場
創業1918年という、東京で最も古いボート場です。
当時は10人以上も乗れる大型の船を始め、100艘もの船が浮かんでいました。
600mのお堀のまわりに明かりを灯し、夜間の営業、蛍、花火、灯篭流し、ラムネ、かき氷、
江戸情緒を残したボート場は、都民の憩いの場でした。
東京水上倶楽部が浄化活動に取り組み、2009年にはこのお堀で蛍が生まれるまでになったそうです
ブラタモリでも紹介された、甲武鉄道 牛込駅跡の石垣ですビックリした~(笑)
そして、そこを通り過ぎると牛込見附(牛込御門)跡が
この石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。
江戸時代の牛込見附は、田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、
また周辺には楓が植えられ、秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。
その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されました。
この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。
江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。
また、現在の外濠になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は
「番町方」(千代田区側)と、「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が立ち並んでいたと伝えられています。
このビルが建ち並んでいる辺りは、以前は深い濠になっていて、飯田濠と呼ばれていました。
昭和47年、都の市街地再開発事業として、飯田濠は埋め立てられることになりましたが、
濠を保存して欲しいという都民の要望から飯田濠の一部を復元すると共に、
以前水面があったことにちなんで約230mのせせらぎを造りました。
外濠の水はせせらぎの地下水路を通って昔のとおり、神田川に注いでいます。
今日のランチです~
牛込橋を渡ったところが神楽坂なんですね~♪
以前から、この杉玉が気になっていた「和食や」さんに入りました。
創作和食の居酒屋さんで、やはり日本酒が充実しているようです。
このボリュームで1000円です満足感でいっぱいです~
デパ地下では買わずに我慢できるのに…何故なんでしょうねェ