高校生時代

 昭和51年(1976年)4月、高校に進学した。入学する直前であったが、フォークギターを買ってもらった。

 実は、中学卒業直前、クラスごとの「お別れ会」があったのだが、隣のクラスの友達数人がが歌を披露することになっていて、その練習を音楽室で行っていた。そこに偶然に居合わせた。二人が自分のフォークギターを持ってきていて、弾き語りをしていた。

 フォークギターの生の音色を聴いたのは、それが初めてだったのであるが、その繊細な音色に私はひどく魅了されてしまった。その友達が特別上手かったわけでもないし、ギターだって大した物ではなかっただろう。なにせ、中学生なのだから。しかし、その音色は私の心を完全に捕らえてしまった。

 わが家はそんなに裕福ではなかったので(むしろ貧しかった)、私はそれまでおねだりなどしたことがなかったのだが、この時ばかりは違っていた。高校に合格したお祝いの意味もあったのか、あるいはいつにない私の熱意に押されたのか、両親は1万円出してくれた。一番安い値段のギターしか買えなかったが、大満足だった。

 このようにして、高校3年間の音楽生活は、1本の安いフォークギターとともに刻まれることになる。(もっとも、私のギターテクニックは初心者のレベルを出ることはなかったが)

 ちなみに、この頃は空前のフォークギターブームで、腕時計のオマケにギターが付いてくるような有り様だった。

 

 前置きが長くなった。いつもの癖である。

 高校の3年間は、振り返ってみると、まさにニューミュージックの黄金期であった。

 少し前に売れ始めたアーティスト達が、次々と華々しい活躍を始めた。吉田拓郎、井上陽水、矢沢永吉、宇崎竜童、かぐや姫の3人(南こうせつ、伊勢正三、山田パンダ)、さだまさし、オフコース、チューリップ、アリス、荒井(松任谷)由実、五輪真弓、山崎ハコ、矢野顕子……、挙げ始めたらきりが無い。また、今でも活躍する大物アーティストが次々にデビューした。中島みゆき、松山千春、チャゲ&飛鳥、そして長渕剛。

 こんなアーティストの曲をラジオで聴き、歌い、歌詞を覚えた。まさにイエスタデイ・ワンスモアの世界である。少ない小遣いからギター雑誌やコード付き楽譜を買い、下手な弾き語りをした。レコードも欲しかったけれど、わが家にはそれを再生できる装置がなく、そして何より高くて買えなかった。(その反動だろうか、今、中古LPを買いあさっている)

 音楽に関しては、本当に至福の3年間であった。個々のアーティストや楽曲については、別の機会に書いていこうと思う。

 

 さて、そんな3年間で心に残ることを、二つだけ書き留めておこう。

 

 ひとつ目は、小椋佳のNHKホールでのコンサートである。「シクラメンのかほり」の大ヒットのあと、彼自身が歌う「しおさいの歌」や「さらば青春」、「少しは私に愛を下さい」などをラジオで聴き、中村雅俊の歌う「俺たちの旅」の作詞作曲が小椋佳だとも知っていた。さらには、本人は某有名銀行のエリートサラリーマンだとうわさも聞いていたが、その小椋自身がNHKホールでソロコンサートを行い、それがテレビで放映されるという。

 その頃、私はあまりテレビを観る方ではなかったが、この時ばかりはテレビの前に張り付いた。当時は一家に一台のテレビが当たり前だったが、私の迫力に裏番組を観たいとは言えなかったのだろう、普段は自分のわがままを押し通すテレビっ子の妹を含め、家族全員でその番組を観たのをはっきりと思い出す。

 あのソフトな歌声とはまるで縁遠い、小太りの普通のおじさんが登場したのには少々驚いたが、まさしくあの小椋佳の声であり、今まで知らなかった曲も含め、十分に堪能したのを覚えている。その後、ますます彼の歌が好きになった。

 

 ふたつ目は、コッキーポップというラジオ番組である。ヤマハが主宰していたポピュラーソングコンテスト(ポップコン)で発表された曲や、そこからレコード化された曲で構成されており、DJは大石吾朗という人だったと思う。とにかく、毎日深夜12:30からの30分は勉強を中断して聴いていたものだ。

 この番組からは、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥などがデビューしている。また、彼らほど有名ではないが、それこそ知る人ぞ知るすばらしいアーティストも輩出している。谷山浩子、高木麻早、NSP、因幡晃、浜田良美、小坂恭子……、といった面々だ。こんな魅力的な番組が存在したこと、そして出会えたことは、本当に幸福であった。