偏屈着物親父は音楽が好きである。聴くのも好き、そして歌うのも好き。楽器演奏も好き、と書きたいところだが、生来の不器用に加え、運動神経悪くリズム感がないゆえ、からっきし駄目である。

 聴くジャンルは、フォーク・ニューミュージック、ジャズ、クラシック、洋楽ポップス(これはかなり限定的)が主である。本当にたくさんの曲を愛聴してきた。そして今でも楽しんでいる。

 

 ここで、私の音楽愛好に関する歴史(?)を振り返ってみたい。

 

  幼年~小学生時代

 幼少の頃から歌うのが好きだったようだ。

 いったいどうやって覚えたのだろう。5歳ぐらいまでは、うちの田舎には電気が通っていなかった(1960年代前半)。だから、当然テレビもない。蓄音機もなかった。あとは、電池で鳴る真空管ラジオだけだから、たぶんラジオから流れる曲を聴いて覚えたのだろう。

 自分では覚えていないのだが、母親や祖母の話によると、人前で歌うのが好きだったらしい。ある時は近所のおじさんに

「お金を上げるから歌ってみろ」

と言われ、嬉々として歌っていたのだそうだ。何と、偏屈着物親父は幼少にしてプロ歌手だったのだ?! 美空ひばりも真っ青である

 さて、どんな曲を歌ったのかも全く覚えていない。恐らくその頃はやっていた御三家(初代:橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)の誰かの歌だったのでは、と想像している。

 

 小学校に入る1年くらい前に電気が通り、それから少し遅れてわが家にもテレビがやってきた。時は懐かしい昭和歌謡の時代である。

 「帰ってきたヨッパライ」「太陽の季節」「ブルーシャトー」「太陽のくれた季節」「花嫁」「ブルーライトヨコハマ」「瀬戸の花嫁」「戦争を知らない子どもたち」……。

 こんなタイトルが即座に浮かんでくる。もっともっとたくさんあったはずだが。

 

 そんな中で特に印象に残っているのは、ちあきなおみの「喝采」橋幸夫の「子連れ狼」である、どちらも小学校6年生の時(1973年)のヒット曲で、前者はレコード大賞の「大賞」、後者は同「大衆賞」を受賞したはずだ。

 私はなぜかこの2曲が大好きで、しょっちゅう歌っていた。口ずさむ、などというかわいいものでなく、声高らかに、だ。今考えるとおかしくなる。声変わりもしない小学生が、

「あれは3年前、止めるあなた駅に残し~」

なのだから、ませガキもいいところだ。

 だが、ガキはガキなりにちゃんとひとつのストーリーを描いていたのだ。そして、そのストーリーは今考えてもほぼ正しかったと言える。小学生にもイメージを喚起させるほど、この曲はすばらしかったのだ。歌詞も曲も、そして歌手も。今でも「喝采」は名曲だと思っている。

 

 

  中学生時代

 中学生1年生の時、今までの歌謡曲とは少し毛色の違う曲がヒットした。ガロの「学生街の喫茶店」である。また、同じ年であったろうか、小坂明子の「あなた」もヒットした。そう、思い出した。海援隊の「母に捧げるバラード」がヒットしたのもこの年である。よく行った本屋のBGM(たぶん有線放送)でしょっちゅう流れていたのを覚えている。

 その後、続々と同じような新しい感覚の曲がヒットした。「神田川」「岬めぐり」「精霊流し」……。フォークソングがそれまでの歌謡曲の流れを変えた頃である。中学2年の時のレコード大賞は森進一の「襟裳岬」であったが、これは吉田拓郎の作詞作曲だった。実はその頃まで、吉田拓郎も井上陽水も知らなかったが、同級生達によってその存在を知るようになる。

 中学3年の初め頃、風の「22才の別れ」が大ヒットした。さらにその年、話題をさらったのが、布施明が歌いレコード大賞を受賞した「シクラメンのかほり」である。布施の歌唱力はもちろんすばらしいのだが、歌詞も曲も新鮮であり、布施がギターを弾きながら歌ったのも印象的だった。しかもこの曲を作ったのが、小椋佳という謎の人物だという。曲の素晴らしさに加え、話題性も満載だった。

 もう一つ忘れてはならないのが、バンバンが歌った「いちご白書をもう一度」である。郷愁あふれるメロディーもいいが、歌詞が更にいい。難しい言葉は使っていないのに、一編の短編小説が浮かんでくる。もう一つ、同じ時期に出た「あの日に帰りたい」もいい歌だった。二曲ともずいぶん口ずさんだものだ。そしてこの二つともが、荒井由実の作品だった。

 

 この頃、ニューミュージックという言葉が出てきたのではなかったか。まあ、マスコミか音楽業界が作った言葉だと思うが、確かに「新しい音楽」であり、私だけでなく当時の若者達の心をとらえたことは間違いない。

 そして、ニューミュージックの人たちは、当時テレビには出ないというのが定番だった。だから、彼らの曲を聴くにはラジオしかなかった。ご多分にもれずこの私も、この時期深夜放送の世界を知り、どっぷりはまりかけていた。今思い出しても、深夜ラジオで聴いたあの頃の歌は本当に素晴らしい。

 

 思い出すままにグダグダ書いているうちに、また長くなってしまった。本当は高校生の時まで書こうと思ったが、それは次回。