前回に続き、宮本輝「骸骨ビルの庭」の感想。

 

 この小説で心に残ったことの一つが、終戦直後の混乱期の食糧難のひどさ、さらにはその当時の子どもたちの実態である。

 これらについては、いろいろな文献で書かれているし、テレビ等でも放映されることもある。マンガやアニメでも描かれているものもある。野坂昭如原作の「火垂るの墓」を観て涙した人も多いであろう。また、上野駅でほとんど裸の戦災孤児たちが野宿している写真(何とそのうちひとりはたばこを吸っている!)も見たことがある。

 これらのことを通じて、この時期の大変さは知っているつもりであったが、この小説にもそんな苦労や大変さが度々描かれる。

 作者はさまざまな文献や資料などを調べながら、これらの描写をしたのであろう。生々しさが伝わってくる。

 作者は昭和22年の生まれであり、「骸骨ビル」の子どもたちとほぼ同年代である。そんなこともあってか、作者の筆にはかなり力がこもっているように感じられる。

 

上巻の帯。前半のあらすじがまとまっています。

 

 そんな悲惨な体験を語るかつての「子供たち」の語りは、大阪弁である。そして、それが救いに感じられる。悲しく苦しい思い出を語りつつも、彼らの言葉はなぜか温かいのだ。それは大阪弁で書かれているからであろう。

 作者の宮本輝も、大阪生まれの生粋の大阪弁ネイティブだからだろうか、大阪弁の使い方に無理がない。私は大学時代に何人かの大阪の友達がいて、彼らとの会話を通じて少しは大阪弁になじみがある。そうはいっても、それ以外大阪弁とはほとんど無縁なのだが、なんとなくそんな気がするのだ。

こちらは下巻巻の帯。

 

 私は戦後15年に生まれたわけなので、もちろん終戦直後の大変さを経験していない。しかし、こういう小説を読むと、この時代を生き延びてきた人たちに本当に頭が下がる。

 年寄りに向かって、平気で「老害」呼ばわりする不逞の輩が大勢いるが、そんな輩はこんな苦労をしたことはないし、知ろうともしない奴らなのだ。本当に腹が立つ。

 横道にそれてしまった。でもこのブログは偽らざる本音を書く。おじさんは怒っているのだ。

 

 お盆の時期に、この小説を読んだことで、よけいにこんなことを考えさせられた。

 

 以下、まだ続く。