夕涼みよくぞ男に生まれけり 宝井其角
相変わらず今日も暑かった。風呂で湯を浴びた後も汗の流れが止まらない。裸のまま外に出て縁台で涼もう。ああ、いい風だ、下帯一つの裸の素肌をなでていく。夏はこれでなくちゃいけない。これこそ、男と生まれてきたからできることであるなあ。(解釈:偏屈着物親父)
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イメージ写真(こんな感じですかね?)
人口に膾炙(かいしゃ)された句だが、これが芭蕉の高弟である其角の作とは知らなかった。蕉風のイメージとは少し違うと感じるが、其角は豪放闊達な都会風で「洒落風の祖」とも呼ばれているそうなので、そう聞くと、いかにも、と肯ける。
ところで、「夕涼み」はどんな格好だったのだろうか。「浴衣の胸をくつろげて」とか「「浴衣の裾をまくり上げて」など、浴衣姿と解釈する人が多いようだが(ネットで見ると)、ここはやはり「ふんどし一つ」がふさわしい。
実際、江戸時代までは風呂ががりでなくても、例えば力仕事などは六尺ふんどし一つが当たり前だったようである。浮世絵などにもよく描かれている。それが普通で、下品とか野卑とかとは思われていなかったのであろう。
日本の夏は高温多湿であるから、夏は裸で過ごすのが一番合理的である。現代のようにエアコンなどの冷房機器がなかった時代、それは当然のことである。日本だけではなく、東南アジアや太平洋の島々の人たちにとってもそうであった。ふんどしに似たものが民族衣装になっている国もある。われわれ日本人やこれらの国の人たちにとっては、裸は決して恥ずかしいものではなかったのである。当然、今のように裸を猥褻と結びつけるようなことはなかった。
ものの本やネットによると、東京でも下町などでは1950年代頃までは、ふんどし姿で夕涼みをするのも珍しくなかったようだ。そういえば、椎名誠の文章にも、ふんどし一つで銭湯にやってくる小父さんの話があったような気がする。(こちらは千葉の幕張だったと思うが)それが、東京オリンピック(もちろん前の)を機になくなっていったのだという。寂しい限りである。
さて自分はというと、風呂上がりはやっぱり「下帯一つ」である。ただ残念ながら外には出ないが。(田舎でめったに人は通らないが、家族が嫌がるので) この格好で、ビールやハイボールを飲むのが至福の時間である。
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手にしているのはビールではなくロックグラスです。