今年の6月で64歳になった。今さらながらだが、自分がそんな年になるなんぞ、思いもしなかった。半世紀ほど前であれば、立派な爺さんである。しかし、時の流れは非情かつ公平であるからには、抵抗しても仕方がない。自分の年齢を素直に受け入れねばならぬ。

 

 ところで、64歳とは一生の中でどのあたりに当たるのだろうか。自分がいつまで生きられるか分からないが、仮に90歳としておこう。(私の父親が今91歳で元気に農作業などしているので) すると、64÷90=0.711…となるから、人生の3分の2以上は過ぎてしまったことになる。ちなみに、90に0.75を掛けると67.5であるから、あと3年もすると人生の4分の3は終わってしまうことになるのだ。

 

 これではピンとこないので、別の指標に当てはめてみることにする。一生を子供の頃の夏休みに当てはめてみるのである。

 今はどこの学校も夏休みが短くなっているらしいが、わかりやすく夏休みを40日間としてみる。すると、私の残りの人生は夏休みに換算して12日ということになる。8月20日あたりだろうか。(8月31まで休みだとした場合)

 

 子供だった頃の自分は、その日をどんな心持ちで迎えていただろうか、と考えてみる。お盆もお祭りも楽しいことはみんな終わってしまったし、日暮れも早くなってきてさびいしいな、そういえば宿題は……。そんな気分ではなかったか。

 夏休みが楽しいのは半分かせいぜい3分の2くらいが過ぎるまでだろう。そう考えると、今の自分の立ち位置が納得されてくる。人生の一番楽しい時期は過ぎてしまった。でも宿題はまだ残っている……。

 

 ここで「宿題」と書いたが、別に他人から与えられている宿題ではない。私が自分自身に課した「宿題」である。「やっておきたいこと」と行ってもいい。今までため込んだ積ん読本をできるだけたくさん読むこと、英語をはじめとするさまざまなことの学び直し、少しばかりの社会貢献……。残された「宿題」は山ほどある。

 やり切るには残された時間が少なすぎる。まだ、「宿題が終わらず絶体絶命に追い詰められた子供状態」ではないが、そんなあせりを感じる今日この頃ではある。

 ただ幸いなことに、この「宿題」は他人から強制されたものではない。まあ、できる範囲で、気楽にやっていこう。

こう暑いと、こんなふうに浴衣姿で過ごすことになります。

 

浴衣の下は肌襦袢等なし。越中ふんどしのみ。