神田沙也加という奇跡③ | 「松田聖子」という奇跡

神田沙也加という奇跡③

いきなり突拍子もなくイチローさんですが、この動画の中でイチローさんが仰っていることが、とても心に残りました。

 

>「やり抜く力」が「才能」や「能力」よりも必要

 

という点について。

 

 

「やり抜くことがそもそも才能なので、おかしな話だと思いますね」

 

「ただよく見るのは、自分が新しくトライしたことが、すぐ結果に直結しないと、もう次の日には止めてしまうんですよ。それは験担ぎに近いから、もうちょっと続けないとわからないことあるんじゃないかな、ってよく思います。」

 

「僕は続けて正解だったものもあります。ただ不正解もたくさんあります。でもそれは時間をかけてやることでしか、判断できないんですよね」

 

「やっぱり自分の経験から得たもの、肌感覚で得た経験って、すごく強いと思うんですよね。どれだけ頭の中で情報を詰め込んでも、肌感覚で持ってないんで、弱いんですよ」

 

「やり抜く才能」。

そういうことであれば、神田沙也加はやっぱり「天才」です。

やり抜く才能が、飛び抜けていた。

きっと日々重圧に押しつぶされそうになりながらもトライ&エラーを繰り返し、その中から少しずつ、少しずつ、成長していった。

そこで得た経験は肌感覚として、彼女の絶対の武器になった。

 

松田聖子のアンチテーゼ(反対命題・対照的概念)とも言える存在は誰か?

多くの方が思う浮かぶのは、中森明菜さんでしょう。

私もそう思います。

でも実は、もう一人、松田聖子のアンチテーゼが存在したのです。

それも松田聖子のごく身近に。

そう、それが神田沙也加。

 

松田聖子と中森明菜は、歌の表現が対照的。

しかし松田聖子と神田沙也加は、そうした表面に出てくるものではなく、もっと内面的なもの、根本的なものが正反対。

早熟型の天才が松田聖子ならば、神田沙也加はやり抜く天才、つまりは晩成型の天才。

天性の勘と閃きで勝負する松田聖子に対し、意図的に培ってきた技術を駆使して勝負する神田沙也加。

「文学性」を与えられることでより輝いた松田聖子と、自らその「文学性」を表現できる神田沙也加。

 

前々回の記事で、奇跡が2度続いた奇跡、について書きましたが、さらに言えば、その2度目の奇跡は、1回目の奇跡の、まさしくアンチテーゼと言える奇跡であったのです。

いや、同じことが2回続くのではなく、アンチテーゼだったからこそ2回目の奇跡が成立した、と言えるのかもしれません。

 

とはいえ、「やり抜く才能」が開花するには、時間が必要です。

その才能が見事に開花したのは、やっぱり2014年の「アナと雪の女王」になるのでしょうが、私的には2011年、2ndアルバム『LIBERTY』を発売した頃には、もう飛躍への準備は整っていたように感じます。

その点については、前々回の記事で紹介させていただいた『PART OF YOUR WORLD』の歌声を聴いていただければ、理解していただけるのではと思います。

 

『LIBERTY』は、沙也加さんのデビュー10周年を記念したアルバムです。

つまり、彼女は10年かけて、ついにその「やり抜く才能」を形にしたのです。

このアルバム、男性ボーカルとのハーモニーが美しいミュージカル曲も収録されていたりと、素晴らしい内容となっています。

 

 

なんて素敵なハーモニーなんでしょう・・・。

 

そして表題曲の『LIBERTY』。

この曲は、2011年12月31日から2012年1月1日にかけて行われた、聖子さんのカウントダウン・コンサートで、歌ってくれています。

以前の記事にも書いたと思いますが、この曲は『ever since』と共に、詞を書いた当時の沙也加さんの心情を、ストレートに表現していると思います。

 

Sweet Liberty

終わらない旅 どこまでも

本当の自由を探して

何時かは 目を伏せないで歩きたい

今はまだ、何もないけれど

 

始まるよ

僕らの 果てない物語

行先は

未来

 

 

沙也加さん、必ず、あなたの未来はやってくるから。

目を上げて、胸を張って、誇らしく歩ける日が。

必ず・・・。

 

同じく『LIBERTY』に収録されている『流星』、これも貴重な映像が残っています。

この動画、今になって沢山のコメントがついて、沙也加さんの歌声を絶賛してくださっています。

そう、この当時、すでに沙也加さんは飛び抜けた存在になっていたのですよ。

ただただ、きっかけが無かっただけで・・・。

 

 

これもいい曲だなあ~。

確か当時のオールナイトニッポン・ゴールドで、聖子さんがこの曲を良い曲だと言って口ずさんでいたような記憶が・・・。

 

沙也加さんの美しく響く歌声が、alanさんの二胡の音色でより引き立っています。

ちなみにこのalanさん、もうこの容姿からして只者ではないですよね。

 

 

 

あの世界的映画「レッドクリフ」の主題歌を歌ったalanさんが、沙也加さんのバックで二胡を弾いている、なんて豪華なコラボなんでしょう。

そしてalanさんの歌声も美しいです。

 

沙也加さんとalanさん、仲が良かったようですが、「類は友を呼ぶ」ならぬ「声は友を呼ぶ」っていう感じで、それこそ共鳴したんでしょうか?

チベット族であるalanさん、今まさに世界で一番デリケートな場所の出身です。

今は中国で活動されているようですが、色々と心配です。

沙也加さんのこの悲報、「風の手紙」となって、届いているのでしょうか・・・。

 

そして2014年、alanさんの曲「風の手紙」を、二人で歌っています。

これも素晴らしい・・・。

 

 

話が逸れました。

 

先程沙也加さんが『LIBERTY』を歌ったカウントダウン・コンサートに、話を戻します。

聖子さんとの共演により、沙也加さんが初めて紅白歌合戦(中継)に出場した時のコンサート、と言えばピンと来る方も多いでしょう。

紅白では、親子で「上を向いて歩こう」を歌った部分が放送されました。

この時のDVD、『SEIKO MATSUDA Count Down Live Party 2011-2012』には、他にも貴重な映像が収録されています。

 

実はこの時のコンサート、今考えると、色々な意味で歴史の分岐点となっているように思います。

私の勘違いだったら教えていただきたいのですが、沙也加さんが聖子さんのコンサートに参加したのは、この時が最後ではないですか?

そして、聖子さんの曲を歌ったのも、おそらくこの時が最後。

さらに言うと、デビュー曲の『ever since』を披露したのもこの時が最後?

(繰り返しますが、勘違いだったら教えてくださいませ)

 

そしてこの時に親子で歌った『瑠璃色の地球』。

私にとっては、衝撃的でした。

2番になって沙也加さんが歌い出した瞬間、心を奪われたのです。

 

 

なんて透き通った美しい歌声・・・。

 

もちろんこの時の聖子さんの歌唱も良かったですし、そもそも1986年のオリジナル音源の、あの神々しいまでの歌声は、自分にとっては格別なものがあります。

 

それにしても、です。

聖子さんが他の歌手の方と歌っている時、それがどんなに素敵な方でも、どんなに歌が上手い方であっても、他の歌手の歌声に心を奪われることなんて、一切なかったのに・・・。

 

自分にとっては、この時がまさしく歴史が動いた瞬間。

ついに、「神田沙也加時代」が到来するのだ、と。

 

そもそも、私が衝撃を受けた沙也加さんの『瑠璃色の地球』は、聖子さんのお腹の中に沙也加さんがいた時にレコーディングされた曲です。

 

 

その曲を、あの時聖子さんのお腹の中で聴いていた沙也加さんが歌い、その成長を思い知らされることになるとは・・・。

 

これもまた、象徴的な出来事だと感じます。

神田沙也加は、次のステージへと、旅立ったのです。

 

もちろん、世間的には全くそんなムードはありませんでした。

聖子さんとの共演で紅白初出場を果たした沙也加さんに対して、相変わらず「親の七光り」という批判の声が多かった気がします。

いや、世間だけではなく、聖子ファンからもそういう声が多かったように記憶しています。

 

がしかし、「親の七光りで紅白に出場できた」と揶揄されたまさにこの時、神田沙也加は「親の七光り」から脱し、自ら光り輝く存在になったことを証明した。

振り返ると、そんな風に思えます。

 

 

しかし実際の所は、それが世間に認知されるまで、あと3年の月日を要します。

あとはきっかけさえあれば、という状態で。

今振り返れば、なんてもどかしい時間・・・。

でもその間も、沙也加さんは声優の学校に一年間通い、念願の声優デビューを果たしたり、Silent Lilyというバンドで『少女シンドローム』という曲を発売したり、と、活動はしていました。

捉えようによっては、迷走していた時期、と言えるかもしれません。

あるいは、「器用貧乏」とも。

 

でも、違うんです。

彼女は、その爪を磨き続けていたんです。

来るべき「自由な未来」に向かって。

 

そしてついに、この時を迎えます。

2014年3月14日、ディズニー映画「アナと雪の女王」公開。

主人公アナは、沙也加さんのこれまでの歩みの結晶だと思います。

ミュージカルでの経験、声優としての技術、声の演技・表情、発声方法、それら全てが凝縮されたこの歌声・・・。

 

 

ついに、ついに・・・。

 

「神田沙也加」は名実共に、

「唯一無二」の存在になったのです。