B面から語る松田聖子⑯『妄想全米デビュー!!』 | 「松田聖子」という奇跡

B面から語る松田聖子⑯『妄想全米デビュー!!』

以下、全て妄想記事です。

完全に自分の楽しみだけの為に書いているので、なるべく早く終わりにしようと思い、このような形式での記事となりました。

とは言っても私の事だから、長引いちゃう可能性も高いですけど(笑)

妄想の中でも、何とか松田聖子の素晴らしさについて語ることができれば、と思います。

読みづらいと思いますが、インタビュアーは黒、しおきゅうPは茶、筆者注は青文字で色分けしてあります。

お付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます😊

 

 

トモ夏樹(以下TM)

こんにんちは、ライターのトモ夏樹です。

さあ、今回のザギンウェブのゲストは、デビュー41周年を迎えた「世界の歌姫」、松田聖子さんの生みの親でもあり育ての親でもある、しおきゅうPさんにお越しいただきました。

しおきゅうPさん、よろしくお願いします!

しおきゅうP(以下SQ)

よろしくお願いします。

 

TM

今回は、パラレル聖子さんによる全米進出について色々お聞かせいただければと思います。

まずはその前段階として、1983年、『SWEET MEMORIES』で日本レコード大賞を受賞されましたね。

全米進出に向けて弾みがついた出来事だったと思うのですが。

SQ

あれはねえ~、本当は受賞を辞退するつもりだったんですよ。当時、既にレコード大賞の価値にも疑問を感じていたし、そもそも会場にいなかったしねえ。でも先方が「どうしても」って言って。

 

TM

受賞者本人が会場にいないレコード大賞、しかも他局との同時中継は前代未聞でした。

SQ

それだけあの時の聖子には勢いがあったっていう事なんだろうねえ。聖子本人は、いただけるものは有難くいただく、というスタンスでした。

*筆者注

私自身、レコード大賞の価値自体に疑問を感じますが、やはり悔しさも残っているので、別に無理してまで欲しくはないけど、「どうしても」って言うからもらってやった、っていう事にしましたべーっだ!

 

TM

そして翌年、1984年の全米デビューとなるわけですが、世界の音楽シーンで語り継がれる年となりました。後にこの時の出来事をモチーフにした「1Q84」という小説もベストセラーになりましたし。

SQ

今考えると無茶な事したなあ~、と思うけど、当時は私も聖子も若かったからねえ。チャレンジの連続でしたよ。

 

TM

当所、聖子さんの全米デビュー曲は『ハイヌーンは熱く』というタイトルで発表されたわけですが、その後『裸足の季節』に変更されました。その辺りのいきさつについて教えてください。

SQ

申し訳ないけど、その辺りの事はあまり記憶に無いんですよ。何しろ、どうやって松田聖子の素晴らしさをアメリカの、いや、世界中の人たちに届けるのか、それしか考えていませんでした。

 

しおきゅうPの世界戦略

 

TM

わかりました。ではここからは、しおきゅうPさんの世界戦略について伺います。1984年が明けた時点では、世界どころか、アメリカ国民のほとんどが聖子さんの事は知らなかったと思います。そこからどうやって松田聖子を認知させていくか、という事になるわけですが。

SQ

はい、まずは当時の経済状況ですね。当時の日本は、その後やってくるバブル経済期を目前にした、まさに上り調子の時期でした。そこで、有力企業による海外進出と、パラレル聖子の全米進出を上手くコンビネーションできれば、というのが私の狙いでした。そこでまずは、時計のSEIKOさんと車のMAZDAさん、この2社に聖子のスポンサーになっていただき、全米進出の資金の面で大変お世話になりました。

 

*dosanko501さん、ありがとうございます。

 

TM

聖子さん、この2社のCMで、いきなりアメリカのTVデビューを果たしたんですよね。

SQ

はい、当時アメリカでCMを見ていた人達は、日本製の商品を紹介する日本人のモデル、という認識しかなかったと思います。何やら東洋人の少女が出ているな、ぐらいの感じで。

 

TM

アメリカでは、聖子さんのようなルックスの場合、子供扱いされてしまう部分もあったようですね。そして同じくアメリカ進出に乗り出した資生堂さんの新商品「ekubo」のCMが流れ始めます。このCMでは『裸足の季節』が使われましたが、CMに登場していたのは、別の女性でした。

SQ

はい、別の日本人モデルさんに出演していただきました。

 

*upachan2004さん、ありがとうございます。

 

TM

全米進出という事で、私たちは聖子さんが英語で歌うと勝手に想像していたんですが、日本語でしたね、あれは驚きました。『SWEET MEMORIES』には英語歌詞もありましたし。

SQ

そうだねえ~。当時の聖子の英語力では、無理して英語で歌っても受け入れられないと思ったから。それならば日本語で堂々と歌えばいい、って開き直った。結果的にそれが良かったんじゃないかな~。

 

TM

『Look back,Seiko』では、日本語メインだったとはいえ、洋楽カバーが大好評でした。

SQ

うん、実はあのアルバムは、アメリカの音楽関係者へのプロモーションも兼ねて作っていたんです。そこで一定の評価を得られた事で、全米進出の決心がついた。「日本語でも勝負できる!」って。ただし、英会話は聖子も一生懸命勉強していたよ、4月1日にデビューする前に、ハワイの大学に通ったりして。

 

当時流行っていた音楽

 

TM

現地スタッフやファンとのコミュニケーションをとる上での英語は必要でしょうね。そう言えば、全米デビュー前の聖子さんと、一緒にグラミー賞を見てきたんですよね?

SQ

懐かしいねえ~。84年のグラミー賞だから、実質は83年の実績に対して贈られる賞だったんだけど、何しろあの年はマイケル・ジャクソン一色で。一人で8部門受賞したのかな?

 

 

*筆者注

「ベストヒットUSA」で当時観てたMVがたくさん、いや~、懐かしい(笑)

 

SQ

聖子もマイケルの事が好きだったから会場にいる時は楽しんでいる感じだったんだけど、帰りに二人でアイスを食べていたら、急に泣き出してねえ~。さすがの聖子も、全米というマーケットの巨大さに怖気づいたのか、それとも日本が恋しくなったのか・・・。

 

TM

それは意外なお話です。

SQ

私も可哀想になっちゃって。つい「日本に帰るか?」って言っちゃったんだ。そうしたら顔を上げて、「絶対アメリカで頑張る!」って。あの時の決意が、その後の聖子を支えたんだと思います。

*筆者注

「あんたはお父さんかっ!!」にひひ

 

TM

ちょうどその後ぐらいですか?「ekubo」のCMの歌声が話題になり始めたのは。

SQ

そうだったと思います。英語だろうが日本語だろうが、あの歌声はインパクトがありますから。そこは自信がありました。もっとも視聴者の多くは、そのモデルさんが歌っていると思っていたようですが。

 

TM

驚いたのは、『裸足の季節』の聖子さんの歌声が、日本でのデビュー曲『RAINBOW~六月生まれ』の頃のような太い歌声に戻っていた事です。

SQ

国内活動終了から全米デビューまで数か月の間、喉を休養できたのが大きかったと思います。

*筆者注

パラレル世界においての松田聖子は、81年はリアル程の人気爆発具合ではなかったので、聖子さんの喉もそこまで酷使されなかったという都合のいい設定になっておりますw

 

TM

それともう一つ驚いたのは、聖子さんのデビューシングルが両A面だったことです。『裸足の季節』に加えて、『青い珊瑚礁』、この2曲で同時に売り出す形となりました。

SQ

はい、単純に、松田聖子の素晴らしさを多くの方に認知してもらう為には、1曲じゃ足りないと思っていたので、出すシングルは初めから全て両A面にする計画でした。『裸足の季節』のCMで注目を浴びた後、そこから『青い珊瑚礁』で一気に弾みをつける狙いが、見事にハマりました。

 

生歌へのこだわり

 

TM

さらにはMTV(音楽専門チャンネル)を使った「生歌」戦略は衝撃でした。MTVなのにミュージックビデオを流さない、という。

SQ

はい、当時のアメリカの音楽シーンは、既にミュージックビデオ全盛でしたから。それこそマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」や「スリラー」の大ヒットは、ミュージックビデオの存在なしにはあり得なかったでしょう。日本では、まだミュージックビデオというもの自体、ほとんど作られていなかったと思います。でも、私はそこにチャンスを見出したのです。

 

Michael Jacksonさん、ありがとうございます。

 

Michael Jacksonさん、ありがとうございます。

 

TM

視聴者も驚きますよね、ミュージックビデオを観ている所に、いきなり生歌、しかも「ekubo」のCMで流れていた曲を、モデルさんとは違う日本人が歌い出すのですから。「あ、何でSEIKOとMAZDAのCMに出ている少女が歌っているの???」。そこから『青い珊瑚礁』の、あの伸びのある歌声が聴こえてきたら、それはインパクトがあります!

SQ

これはもう私の直感のようなものですが、聖子の良さはミュージックビデオでは出し切れない、そう思いました。

 

TM

それはどういった所から?

SQ

彼女の魅力は、毎回同じようなパフォーマンスを繰り出す事で発揮されるものではありません。その時々、いや、その瞬間だけでしか表現できない何か、それを見たくて私は一緒に仕事をしているようなものです。

 

TM

わかるな~。MTVの視聴者にすれば、毎回違うパフォーマンスが繰り広げられるんですから、それは夢中になりますね。他のアーティストは、同じ映像が繰り返されるだけなのに。

SQ

聖子の場合、もちろんレコード音源もいいけど、パフォーマンスも含めた生歌の素晴らしさは特別ですし。また、生歌というだけでなく、生放送にもこだわりました。それを提案したら、MTVのスタッフに「バカいうな、そんな事できるわけがないだろう!」って笑われましたけど(笑)でも、第1回目の収録を現地したんですけど、それでスタッフの目の色が変わって。

 

*70s 80s 90sさん、ありがとうございます。

*筆者注

妄想してください。ここはアメリカのスタジオです(笑)

 

TM

そんな毎回のようにスタジオに来て生で歌うなんて、スケジュール的に無理だと思ったんでしょうね。収録する自分たちも大変になりますし(笑)それに、当時の日本の歌番組に外タレが出演した時は、口パクの事も多かった記憶があります。

SQ

そこはもう完全に日本流です(笑)スタジオに限らず、聖子がどこにいようと、聖子がいる場所にカメラを呼んで、そこでいきなり歌い出す、という、今で言うゲリラライブ。これも相当インパクトがあった。

 

TM

当時の日本の歌番組ではよく見られた光景でした。それが今や伝説となっているジョン・F・ケネディ空港での『青い珊瑚礁』につながるわけですね。

 

*cherrycherryさん、ありがとうございます。

*筆者注

羽田空港ではありません、ジョン・F・ケネディ空港です(笑)

SQ

そうだねえ~、飛行機のタラップから降りてきて、そこですぐにヘッドフォンを付けて歌い出す。向こうじゃそんな事はあり得ないです。

 

TM

まさに「アンビリバボー!!」です(笑)そして4/1発売の『裸足の季節/青い珊瑚礁』が奇跡的なヒットを飛ばしている最中、わずかその1ヵ月半後に次のシングルを発売しています。これは3ヵ月単位での発売だった日本よりさらに早いペースでした。

SQ

一つは、先程話したように、松田聖子の素晴らしさをより早く多くの方に知っていただきたかった、という事。もう一つは、この全米進出に関しては、期限が決まっていたので。

 

TM

それはどういう事ですか?

SQ

実は渡米前に、ある方に聞いたんですよ。「今回の全米進出は上手くいくでしょうか?」って。

 

TM

どなたに?

SQ

霊能者の方で、「松田聖子」という芸名の名付け親でもある方なんですが、その方が「彼女は近々、おそらく2年以内に結婚するでしょう。だからそれまでの期間で全ての力を注ぎこんで活動した方が良いと思います」と仰っていたものですから。聖子の名付け親になった方からの言葉だったので、それを信じて突っ走ってみよう、と思ったんです。これも私の直感です。

*筆者注

沖紘子さんという方です。期限を区切ったのは、いかにパラレル世界といえど沙也加さんが予定通りに生まれてくれなくては困る、という筆者の個人的事情によります(笑)

 

TM

予言は見事的中(笑)

SQ

ええ、結果的に1年と3ヵ月ぐらいの活動になりましたが、それで正解でしたね。

 

 

未確認生命体のような衝撃

 

TM

そして5/15、2ndシングルの『夏の扉/SQUALL』が発売。これも全米に衝撃を与えました。

SQ

聖子のような意味での「アイドル歌手」は、向こうでは存在してなかったから。まるで未確認生命体を見ているような、そんな感じだったと思います(笑)

 

TM

初めのうちは、色々とバッシングのようなものもあったとか。

SQ

そうだねえ~。「何だこれは、子供のお遊戯会か?」って言われて。でもそれが功を奏した部分もあって、まずは子供たちが興味を持ってくれました。それから、アメリカにも所謂「オタク」な若者が結構いたんですね、そこから火が付いて。もちろん、その前に『裸足の季節/青い珊瑚礁』で聖子の歌声自体が認知されていた事は大きかったです。

 

TM

未確認生命体ではあったけれども、歌声は素晴らしいと(笑)

SQ

それとね、『夏の扉』なんかは、歌う度に振付が変わったりするわけでしょう。衣装のパターンも実に豊富で。そういう部分は女性にも好評でした。そんな歌手はアメリカには存在しなかったし、ここでもMVを使わず毎回生歌だった効果が出ていたと思います。見た目だけじゃなく、さっきも言ったように、パフォーマンスや歌声も毎回違って、それが実に生き生きと映るんで。

 

*idmassaさん、ありがとうございます。

 

*筆者注

以下の動画で観ればよくわかりますね。歌唱力とか容姿とか、そういう問題以前に、決められた振付と同じ衣装で全員揃って同じパフォーマンスをする。譜面忠実にミス無く歌おうとする。そういう良さも確かにあると思いますが、「松田聖子」はそういうものとは対極の存在だと思います。

 

*My Nogi Melodyさん、ありがとうございます。

 

*CCさん、ama terausさん、ありがとうございます。

土居まさるさんも思わずノリノリになるこのパフォーマンス(笑)

躍動感、高揚感が全然違う!!

 

TM

そして『SQUALL』では、そのタイトルに相応しい怒涛の歌声が。特に冒頭のファルセット気味の優しい声色からの力強い歌唱は、TVの前の視聴者さんも、思わずスタンディングオベーションだった、とか(笑)

SQ

こちら関しては、アメリカの皆さんにも素直に受け入れられたと思います。あの声量であのノリですから。ただし、「本当に『夏の扉』と同じ人が歌っているのか?」という問い合わせも多かったようです(笑)

 

*Anya 787さん、ありがとうございます。

 

 

TM

その辺りは聖子さんの振り幅の大きさですよね。私なんかは単純に、シンガーとしての聖子さんの実力だけで十分アメリカで成功できたと思うんですが、アイドルという形にこだわった理由は?

SQ

これはもう信念として。「歌手」だけでもダメ。「アイドル」だけでもダメ。「アイドル歌手・松田聖子」としてアメリカで勝負する事に意味がある、そう考えていました。

 

TM

わかりました。その辺りの事は、また次回のインタビューでじっくりと聞かせていただきます。読者の皆様、次回のザギンウェブをお楽しみに!!
 

パラレル聖子の軌跡

 

1984年

4/1 裸足の季節/青い珊瑚礁

5/15  夏の扉/ SQUALL