お疲れ様です。

 

小澤征爾氏と村上春樹氏の対談本を読了。

その名の通り、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」、かな。

後日談に出ていて、最初は小澤征爾さんの娘さんが村上春樹一家と付き合いがあったようですね、そこから出会ってこの対談本が実現できたみたい。なんでこの組み合わせかわからなかったから疑問が解消。

 

村上氏が惜しげもなくクラシックのレコード知識を披露していてこれには小澤氏も舌を巻いていましたね。どうせなら楽譜読めるようになればいいのにと呟いていたくらい、無意味に素人と呼ぶには惜しいほどの知識量。記憶力も良いのでいつ、どこのオーケストラと何を指揮したとか、これは音源がレコードに残っているとかなんとか、そういう話が中盤。

 

この本は2010年代の対談なのでもうかれこれ10年以上は経っている中で最近の潮流としてオーケストラがより楽器ごとのセクションで音をクリアに弾き内声を浮かび上がらせた音が主流になっていると言っていたのが興味深かった。

ボワっとソロパートだけ楽器が聴こえるのではなく、メゾピアノの音は弱く出すのではなく強く出して音をメゾピアノにするとかね。フルートやホルン1と2が短い単位で息継ぎが漏れないように小節ごとに変わるとか。やっぱりそれぞれの楽器の特徴で細かい話をしているところが面白かった。

バーンスタインがマーラーを世の中に広めたという件もだから商業的にも成功した指揮者だったのか、とかね。

 

本全体から受ける印象は小澤征爾さんはパッションの人、色々な名だたる指揮者やオペラ歌手、楽器名手に好かれたと言っていたが、なぜかというのは語られていないけど、人間性が好かれていたんだと思う。

音楽家は孤高の人で心の中にベートーヴェンを住まわせるタイプが多い中、物怖じせずに英語出来ずとも中に入り一生懸命に周りと音楽作りをしていた姿勢が好かれていたのだろう。


バーンスタインの助手をやっていた時にはすでに中学生からオーケストラを指揮してきた経験があったので師を真似るということはなく自分の指揮を確立できていた模様。それほどに日本でいた時に基礎的な技術はすでに出来上がっていたみたいなので日本の音楽教育も捨てたものじゃないなと。

 

晩年は本当に後世や若い人に活躍の場を提供して熱心に教育していた。マネージメントは好きではなさそうだった、本からは音楽家としての彼が垣間見えたのはよかったかな。

 

この本は最近の中でも特に本当に一気読みできた。

まだ読み終えていないタイトルが道半ば10冊くらいある。

純粋にオーケストラの話が引き込まれたのか。

村上氏曰く小説家はたくさんいてもある種のリズム感がないと生き残れない、数冊読めば小説家の行く末がわかる、と。

確かにリズム感はそこまで躍動的に感じないけど引き込まれて読んだのでそこは納得した。

 

映像では残らない消費しにくい余韻が本にはあって良い本に出会うとまた他にも読みたくなったな。

至福の時。

 

ではまた。