こんにちは、TARTです。
今日は、私のところは朝から雨模様で、どんよりとした厚い雲に覆われています。
そんなわけで気分も少し塞ぎ気味…
ココナッツも安いし、作業代は高いし、踏んだり蹴ったりの7月です。😵💫
ということで、今日はしっとり音楽でも聴きましょう。
私のおすすめは、これです。😊
「たしかなこと」は、昭和を代表するフォークロックバンド「オフコース」のリーダーであり、ボーカリストの小田和正さんの代表曲です。
小田さん、TARTの長兄と同い年の今年77歳になるんですね。(みんな年取っていきますね!! あッ、俺もか…)
当時赤い鳥(あの山本潤子さんがいたグループ)とかフォークシンガーズ(財津和夫)とか強敵のいる中でのデビューでした。
小田さんの風貌は、どっちかというと、ミュージシャンというより、エンジニアか科学者のような容姿でした。
地方国大で学ぶ苦学生の雰囲気をも醸し出していましたが、
実は、
小田さんを始め、メンバーは横浜っ子のお坊ちゃまなんです。
小田さんの出身地や学校は、TARTの実姉が八景に住んでいるので、とても馴染みがあり、その頃から、大好きなグループになってしまいました。
この小田さんやメンバー、地主さん、鈴木さん、須藤さんは、超進学校に通っていた秀才で、東北大、東工大、横浜市大に進学します。
数々のヒット曲を生み出し続けている小田さんの楽曲には、TARTの心を揺さぶりよく聴きました。
というのも、
この人達の前は、拓郎、かぐや姫、陽水とか不健康そうな容姿の人たちが多い中、荒井由実、オフコースがこの頃出てきて、なんかフォーク界のルネッサンス時期だったように記憶してます。
荒井由実さんの歌詞などは、「ソーダ水の中を貨物船がとお~る~♪」なんて当時ありえないフレーズはそのセンスの高さにほんとに驚きでしたよ。
荒井さんは多摩美大卒で、大変才能の在る方で、TARTの中で多摩美大は、サザンのバックを支えていたグループの知り合いもあり、優秀な芸術家って印象が強いです。
横浜の元町の喫茶店で、注文したクリームソーダのグラスの中を、、、
ほんとに、東京湾を航送する貨物船が通り抜けて行くんです。
一番心に響くカバー 陽真(HIMA)ちゃんの唄声
話を戻しますが、
2005年にリリースされたシングル『たしかなこと』は、小田さんの音楽の魅力を語る上で欠かせない名曲だと思っています。
これ「明治安田生命のCMソング」として書き下ろされた曲なのだとか。
この頃TARTは、海外在住10年選手で、既にTVも見なくなって久しく馴染みがないのです。
この曲はドラマや映画の主題歌、挿入歌としても使われて多くの場面で皆さんの記憶に残っているのだとのこと。
結婚式や卒業式、葬式など様々なシーンで歌われ、その歌詞はリスナー自身の人生と共鳴し心に深く響きものとなっているようです。
そんな有名な曲ですから、今でもたくさんのシンガーがカバーをしていますが、TARTはこの陽真(HIMA)ちゃんが一番しっくりきたのでここにシェアします。
🐻よかったらクリックして聴いてみてください。!♪
TARTの思うこと、感じたこと
雨上がりの空を見ていた
「雨上がりの空」は、困難や悲しみの後の新たな始まりや希望をちょうど雨上がりの虹を見るように。雨が止んで空が晴れる様子は、心の中の悲しみが和らぎ、新しい展望が見える気がします。
通り過ぎていく人の中で
「通り過ぎていく人」は、忙しく日常を生きる人々を指しています。多くの人々が何かに追われながら生きており、周囲の変化や小さな出来事に気づかずに過ごしている様子が伺えます。
悲しみは耐えないから
悲しみや困難が完全には消え去らないという現実があります。人生には常に悲しみや困難が存るということを。
小さな幸せに気づかないだろ
日常の中で忙しさや悲しみのせいで、えてして身近にある小さな幸せに気づかずにいることがよくあります。些細な喜びや幸せに目を向けることができない日々を私達は過ごしています。
愛と守護、そして献身
ときを超えて君を愛せるか
時間や困難を乗り越えて愛し続けることを誓っています。このフレーズは、長い時間をかけて変わらずに愛することの難しさと、それでも愛し続けたいという強い意志を歌います。
ほんとうに君を守れるか
愛する人を守り抜くことができるかどうか、自分自身に問いかけています。守るという行為は、愛する人に対する責任感や献身を意味しこれに真摯に向き合っています。
空を見て考えてた
広い空を見上げながら深く思索し重大な決断や深い感情を抱えながら内省する瞬間を表しています。
君のためになにができるか
愛する人のために自分がどんな行動を取れるかを考えています。これは、自己犠牲や奉仕の精神を示しており、愛する人の幸福を第一に考える姿勢を表しています。
忘れないで、どんなときもずっと君のそばにいるから
いつでもどんな状況でも愛する人のそばにいることを誓っています。これは、変わらぬ愛と支えの約束を誓っています。
そのために僕らはこの場所で
「そのために」というフレーズは、何か大きな目的や理由があって「僕ら」が「この場所」にいることを示しています。この場所は、具体的な場所だけでなく、人生や現在の状況を象徴しているかもしれません。
同じ風に吹かれて同じ時を生きてるんだ
「同じ風に吹かれて」は、同じ環境や状況の中で生活していることを示しています。「同じ時を生きてるんだ」は、共に時間を共有し、同じ時代を生きていることを強調しています。このフレーズは、人々の共通の経験やつながりを強調しています。
自分のことを大切にして
「自分のことを大切にして」は、自己をケアし、大切にすることの重要性を示しています。自分を大切にすることで、他者にも優しく接することができるというメッセージです。
誰かのことをそっと思うみたいに
「誰かのことをそっと思うみたいに」は、他者への優しさや思いやりを示しています。「そっと思う」という言葉は、静かで優しい気持ちで他者を思いやることを表しています。
せつないときひとりでいないで
「せつないとき」は、悲しみや寂しさを感じるときを指します。「ひとりでいないで」は、そうした辛いときに一人で孤独にならないでほしいという願いを示しています。話者は、愛する人が苦しんでいるときに、一人で孤独に耐えないで欲しいと強く願っています。
遠く遠く離れていかないで
「遠く遠く離れていかないで」は、物理的にも感情的にも遠くに行かないでほしいという願望を示しています。話者は、その相手がどんなに遠くに行っても自分のそばにいてほしいと強く望んでいます。
空を見上げてるか、風の音を聞いてるか
これは自然の中での静かな瞬間を描写しています。「空を見上げる」とは、未来や希望を見つめることを象徴しており、「風の音を聞く」とは、現在の瞬間を感じることを示しています。どちらも心の安定や落ち着きを表すメタファーです。
もう二度とここへは戻れない
時間は止まることなく流れ続けます。今この瞬間の経験や感情は、後から取り戻すことはできません。でも、それを悲しむのではなく、今この瞬間を大切にすることが大事です。
愛する人に想いを素直に伝えることで、過ぎ去った時間を後悔せずに生きることができます。この言葉は、人生の変化や進展を表し、時間の流れに逆らうことなく前に進むことの大切さを教えてくれます。
でもそれを悲しいと決して思わないで
過去に戻れないことを悲しまないようにというメッセージです。変化や別れが必ずしもネガティブなものではなく、新しい始まりや成長の機会であることを強調しています。
一番たいせつなことは特別なことではなく
「一番たいせつなこと」は、特別な出来事や派手なことではないと言います。日常の中にこそ、本当に大切なものがあるというメッセージです。
人は特別な出来事に注目しがちですが、実は「いちばん大切なこと」は日常の中にある愛や感情を大切にすることです。
ありふれた日々の中で感じる愛こそが、人生を本当に輝かせるのだと思います。
ありふれた日の中で
「ありふれた日」は、特別なことが起こらない普通の日常を指します。この歌詞は、日々の生活の中に価値を見出すことを強調しています。
君を今のままの気持ちで見つめていること
「君を今のままの気持ちで見つめていること」は、相手をそのままの姿で受け入れ、大切に思うことを示しています。変わらない愛情や信頼、安心感を表しています。
たしかなことのまとめ
雨上がりの空に虹がかかったり、切れた雲から木漏れ日が差し込んだりするのを見ると、困難の後に訪れる希望や幸せを感じますよね。
でも、私たちは日常の忙しさやときどき悲しみに追われて、小さな幸せに気づかずに過ごしていることが多いんです。
そんな日々の中で小さな幸せに目を向ける大切さを教えています。
愛する人への深い愛情と献身が描かれて、どんな状況でもそばにいることを誓う強い決意と優しさを感じます。
愛の力や責任感、そして献身の美しさが親や連れ合いの愛だったりするのでしょうか。
この歌詞は、私たちが共通の環境や時間を共有して生きていると言っています。
自分を大切にしながら他人にも優しさと思いやりを持つことの大切さを伝えています。
また、
愛する人が孤独や悲しみを感じるときに、そばにいてほしいという強い願いも伝わります。
物理的にも感情的にも、その人が自分から離れていってほしくない強い願いが込められています。
さらに、
この歌詞は過去に戻れないことを受け入れることを諭します。
そして未来への希望を持つことの大切さを伝えています。
人生の変化を悲しむのではなく、今ここにいることや未来への期待を持つことが重要だと教えてくれます。
全体を通して、深い愛情と同時に不安や切望が感じられます。
愛する人との絆を強く求め、その絆が途切れることへの恐れが表現されています。
この歌詞は、愛と絆の大切さ、そしてそれを失うことへの恐れをテーマにしており、
- 愛する人がそばにいることの安心感と
- その存在がどれほど大切かを強調しています。
この詞は、「明治生命保険会社の理念」と共鳴していますね。
生命保険は、お客様がどんな状況にあっても経済的に支えることで、家族や愛する人たちとの絆を守り、安心感を提供します。
お客様の人生に寄り添い、支え続けるという生命保険の役割は、歌詞が伝える「どんな時でもそばにいる」というメッセージと一致しています。
生命保険は、悲しみや不安に直面したときに一人で悩むのではなく、常にそばで支え、安心感を与える存在です。
このように、愛と絆を大切にすることが、生命保険の本質であり、この歌詞が表現するテーマと深くつながっています。
愛と絆の深さ、そしてそれを失うことへの不安や切望を描いているのですね。
う~~~ん!!
この生命保険の思いは、嫁ぐ娘さんへのお父さん、お母さんの気持ちだったり、亡くなられた、旦那さんや奥さんだったりするんですね。。
たしかに、
長年連れ添った伴侶やまだ人生の途中で不治の病で神に召されたご主人、奥様の葬式や親が娘さんへの結婚式なんかでコレを流したらお互いの人生でのいろんな思いがこみ上げてきて嗚咽してしまうのかもしれません。
明治安田生命のCMソングとして長年起用されている小田和正の『たしかなこと』は、大切な人への愛を歌った楽曲でした。
歌の歌詞は下記の通り、
たしかなこと(歌詞)
歌:小田和正
作詞:小田和正
作曲:小田和正
発売:2005-10-12
雨上がりの空を見ていた 通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから 小さな幸せに 気づかないんだろ
時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた 君のために 今何ができるか
※忘れないで どんな時も きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ※
自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに
切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで
疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくても
なくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはず
△いちばん大切なことは 特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのまゝで 見つめていること△
君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだ
それは ずっと出会った日から 君を愛しているということ
君は空を見てるか 風の音を聞いてるか
もう二度とこゝへは戻れない
でもそれを哀しいと 決して思わないで
(△くり返し)
(※くり返し)
どんな時も きっとそばにいるから
フィリピンでのこの愛、守護,献身は?
「たしかなこと」はどんなふうになるのでしょうか?
こちらは、9ヶ月前にユーチューバーがアップロードした「勇敢な夫、妻の通夜で歌う」というタイトルの動画です。
彼は、とても心地よい声で、亡くなった妻へのかけがえのない愛を力強く歌い上げています。
たくさんのビューワーの共感のコメントが残されていました。
9ヶ月前の投稿にもかかわらずいまだ、ビュー、コメントは止まりません。
白人のコメンテーターが、
「彼は上手だと思うが、私は愛する人が亡くなったとき、あまりにも深い悲しみのため、言葉にすることもできず、こんな風に手振りを交えて堂々と歌うことなんてできない」と言っています。
彼の意見も一理あると思います。
フィリピンの人たちにとって、家族愛は最も大切なものです。
そのため、彼が伴侶を亡くしたことは、とても耐え難い悲劇だと思ったでしょう。
置かれている状況は人それぞれです。
例えば、私の妻はステージ4のがんで、死別が避けられない状況でした。
私は看病を続け、妻はベッドの上で力尽きました。その間、多くのことをできる限りやって、最後のお別れを迎えるケースもあります。
彼もそうだったかもしれません。もしかして妻から亡くなる前に「歌って!」言われそして彼は妻に約束したのかもしれません。
フィリピンのお通夜は2週間ほど続きます。その間ろうそくの灯火が途絶えないよう交代で寝ず番でお守りをします。
当然、夫は寝ず番のメインになります。
棺の中できれいに化粧された妻がずっと静かに眠っています。
通常悲しみはその後も何度も押し寄せてきますが、多くの人はその時点で悲しみから一時的に回復していることが多いです。
フィリピンの人たちは、ダンスや歌うことが得意な人が多いです。
例えば、私の妻は何でも歌えました。モールや家で歌っていると、観衆や近所から「やめないでくれ」と言われるくらいでした。
もし私が妻の代わりに召されていれば、妻はきっと、上の彼のように私の棺の前で歌ってくれたでしょう。
以上これがフィリピン版「たしかなこと」TART解釈でした。😊
皆様には、こんな形ではなくお祝いの席で聴ける「たしかなこと」で嬉し涙を流していることをお祈りします。
TARTでした。