・・・去年の今日はこれを書いていたのか・・・・・

・・・・・・壊れたコーヒーメーカー・・・気取って飲んでたエスプレッソ・・・ホントはわかりもしないのに・・・苦さ、がいいのよ・・・彼女は、そう思っていた?

 

・・・I'm green with envy."(わたしは羨ましくて仕方ありません)

ネガティブなことを綺麗な言葉でに伝えられる時期もあることはある。でも、それは長くは続かない。ジェラシー、嫉妬、妬み。才能への羨望が、やがてドス黒い錆びにになり脳の中に生活始まる。活性酸素?そう、癌やら何やら成人病の原因になる、あれ、のことだ。すべてが錆び。錆びが心も身体も狂わせる。始末が悪い生物に生まれたことを呪っても遅い。🐕・🐱・🐵。みなそれぞれに時間と錆びの螺旋の中で蝕み、それに抵抗しながらやがて消えるのも周知ではないか?だから、わたしたちも一緒なのだ。

 

礼(臼田あさ美)は、雅(山田杏奈)のキラキラに嫉妬していた。インスタで近づき、巧妙に罠に嵌めた。ろくでもない連中を部屋に誘い、田舎から出て来たキラキラを汚す。このステレオタイプの淀みと荒みは錆びのなせる愚行であって、彼女本来のそれではない。何がわたしをこんな風にしてしまった、のか?わからないのではなく、よくわかっている。"green"の羨望が錆びに錆びてこうなってしまったことを。・・・珈琲屋・青山(中村倫也)には、それが見えていた。あなたはそんな人ではない。瞬時にそれがみえるのは、またしても出来過ぎる程の出来過ぎ。でも、この設定を乗り切るのがこの俳優の絵から抜けたような風貌と所作である。「際」に厳しい眼線、視線。そこから表出される静かなアクション。・・・あいつの眼、ひとを殺した奴の眼、だ・・・ろくでもない奴らに瞬時に言わされてしまう、一瞬の沸点の「際」がある。・・・この「際」の凝縮の強さが、この出来過ぎをあり、かな?と思わせるのがいい。中村倫也は実は"inrensity"(強度)を芯とする役者なのである。だから、この設定が成立する。生きて来る。・・・壊れたコーヒーメーカー・・・気取って飲んでたエスプレッソ・・・ホントはわかりもしないのに・・・苦さ、がいいのよ・・・彼女は、そう思っていた?・・・絵描き、美術の虜・・・違いがわかる女になりたかった?・・・それが少しずつ・・・他人との才能の比較から負のスパイラルか?・・・他人との比較がひとの心を狂わせることはよくある・・・挙句、キラキラ星、ようこそどん底へ、だ・・・よく、あることですよ・・・青山はそう言ってるかのようだ・・・台詞にはないが彼の顔がそう言ってる・・・苦味がわかるふりをしてたあなたは錆びの螺旋に縛られてしまったんですね・・・壊れたコーヒーメーカー、壊れてなかった・・・石灰が溜まってた?・・・錆びのようなもの・・・叩く彼女・・・お前まだ動ける、だろ!・・・錆びの重さを振るい落とすように・・・やがて、動き出す・・・カップに絞り出される、エスプレッソ・・・美味しい・・・もう一度やれるか?・・・あの日わからなかった苦味の良さが今はわかる、から。・・・そう、思えるから。

 

・・・I'm green with envy."(わたしは羨ましくて仕方ありません)

私は、このフレーズを聴く度に、"green”という単語がネガティブに使われているのが不思議でならない。海外では、青信号は"green light"と表現するではないか。

緑色は、人生のゴーサインである。前へ進め、である。

 

錆びと苦味の区別がつかなかった女性が、青信号で大通りを渡り出した。

それを、珈琲屋・青山は見届けて、また見知らぬ街へと去っていく。