忍(山口紗弥加)の創作の源?・・・ささくれだたせる、夫との生活。

・・皮肉である・・・彼女の創作はそこから産まれる、のは。

 

蝕まれながら・・・その蝕みを紙面に書き刻むこと?

・・・“Carve it in your heart”(心に刻め)!・・・そう・・・紙面はわたしの心

・・・心の傷・・・そのように紙をノイズで爪痕を残すこと・・・身を削って浮かぶ瀬もある?・・・その瀬・・・長くは続かない・・・次第に濁流が迫るから・・・身の置き場狭い、狭い・・・好んで彼女は濁流に濡れ始める・・・街の汚れ飲み込んだ、濁流・・・傷に沁みる・・・いや、染みこみ・・・紙面はもう、血と涙でぐちゃぐちゃだ・・・でも、やめれない・・・それが彼女の創作、だから?

 

ささくれを友と呼べるか?・・・わたしの狭い場所にこそ・・・パッションが住み着く・・・私に向かってそのペンを刻むこと・・・虚実皮膜の薄い膜?・・・もう、ない。

 

橘千秋(板垣 李光人)は街で身体を売っていた・・・その方が楽だった?・・・汚れに身を任す母親・・・産まれた場所・・・その場所から出て来たのが自分?・・・汚れていることで安心出来ることがある?・・・あるかもしれない。

濡れ落ち葉の匂い・・・腐臭だけど・・・母を感じることが出来る、から・・・そこに居た?

 

・・・雨・・・濡れ落ち葉の匂いを醸し出したか?・・・雨に罪はない・・・でも、過去の断片・・・踊り出す・・・切り刻んだ、はずなのに・・・あのとき・・・断片の山・・・層になって推し潰す・・・いや、された・・・濡れた、ふたり。

 

・・・濁流が迫る、忍・・・千秋はそこに向かう・・・濡れ落ち葉払い除けるには・・・重い?

 

このドラマには酸欠状態から抜け出るというより、そこにこそ住処があるように思える。

捻れた日常にくたくたになりながら、山口紗弥加が、はっとするような絵のような輝きの表情を魅せることがある。そのありかたは、石井隆や神代辰巳のような地の這い方でもあり、邦画の伝統を正しく継承していると私は思う。