去年の今日はこれを書いていたのか・・・・・

・・・近々2021年を選ぼうと思います、が。

 

1.コタキ兄弟と四苦八苦                       

2.MIU404  

3.共演NG                                                 

4.浦安鉄筋家族

5.知らなくていいコト

6.リモラブ〜普通の恋は邪道〜

7.35歳の少女

8.いいね!光源氏くん

9.私たちはどうかしている

10.恋する母たち

 

*主演女優賞:波瑠

*主演男優賞:佐藤二朗

*助演女優賞:岸井ゆきの

*助演男優賞:橋本じゅん

 

ある視点からみたら、私はこう思いますよという感じでみて頂けたらと思う。一度も批評で取り上げなかったが、例えば『この恋あたためますか』などは、賞味期限切れを宣告されたアイドルが、消費社会に真の美味しさを世間に教えてやる彼女なりのリベンジが描かれ、冬の寒さと彼女の熱量が相まって、ハートウォーミングやライフイズワンダフルとは、「巡り巡って」こうあるべきではないかと思って毎週観ていた。この「巡り巡って」感は勿論「めぐり逢い」も意味する。「めぐり逢う」ことは「知り合う」こと、そして複数以上になれば「集まる」こと。その意味では、「集合」を思わせる作品に良さがあったと思う。基本的に集団でも集合でもどうでもいいのかもしれないが、その言葉に私がこだわるのは、めぐり逢う→集う→離れるの繰り返しが、"COVIT-19"下において、逢いたいひとに逢えないことの私たちの近況においてより強く感じえられた一年であったからだと思うのだ。例えば、『コタキ兄弟と四苦八苦』では、兄弟が実の妹に素性を名乗らないまま、妹を旅立たせる優しさが心を打ち、世界から孤立したかのようにもみえる喫茶店の安っぽい飲食物が無性に食べたくもなり、いまや「崩壊」という言葉が頻繁に浪費される私たちの毎日にあって、この兄弟の達観しながらも世間との関わりの痕跡を残し続ける浄さが素晴らしかった。また、『MIU404』では、バディ物のスタイルを借りながら、出会う→集う→別れるの辛さと、世界・社会との軋轢の中で、悪いスイッチが入ることの蓋然性に私たちはみな、あることを深堀していたとおもうのである。警察と犯罪者の距離感はない。自身と社会の「公私混同」で痛い目にあったり、或いは予期せぬ不可抗力だったり、いずれにせよ、何しろ、そこで何かを私たちは心底理解するという、期せずしての深掘り、かもしれない、が。野木亜希子のふたつの脚本は良かった。また、『共演NG』は、森崎東の『ロケーション』とは異なるが、テレビドラマのためのテレビドラマであり、キャストとスタッフが出会ってドラマを作り、そして別れることと、スタッフの不夜城的な疲労感もあり、見応えがあった。また、『浦安鉄筋家族』は偏屈家族集団が地域を丸呑みして集合化させており、佐藤二朗のヤニ塗れのオヤジが関わるひとたちと時間の集合の巡る巡る日常の旅のようにもみえ、続編も期待する。"COVIT-19"による中断と再開後の家屋が大分異なる等、その歪さを笑いに変える豪胆さには👏を贈りたい。『知らなくていいコト』は、罪を背負う父と真相に肉薄する娘の静かなる確執が活劇精神を持って描かれ、『恋する母たち』にも言えることだが、人生のバディは、何も結婚だけではありません、よと柄本佑と吉高由里子の絆が表出されていた。大石静の脚本はやはり良い。女優では、波瑠が『リモラブ〜普通の恋は邪道〜』の、ひとの話しているのを聞くその表情の素晴らしさと、コミカルなサイレントの芝居に感動した。頑張って貰いたい。『35歳の少女』における過去・現在の時間と家族の集合とのそれぞれの確執は、私たちが棚上げして忘れていたことであり、この作品は不可避の出現であった。かつて自身がみた夢すら人格を持って私たちを不意打ちする、その気迫が良い。さらに、『いいね!光源氏くん』もその意味では時間と関わるひとたちの集合であり、カーテン1枚向こう側に過去・未来がみえるようなその距離感がいい。『私たちはどうかしている』は撮影所映画と旧い老舗テレビドラマの焼き直しのようにもみえるが、実は大森一樹の『恋する女たち』のような、多様な女性が居て、それぞれ空間に居場所の持ち方は、市川崑ミステリーのようでもある。

 

めぐり逢う→集う。それが、「集合」。

家族だけが、バディ、ではない。でも、家族も無論、バディ、だ。2021のテレビドラマに思いを馳せたい。