去年の今日はこれを書いていたのか・・・・・・・・

・・・萌音ちゃん「虚」を醸す、その力・・・凄い。

 

〽消して、リライトして、とアジカンの曲を歌う彼女達。パートナーは、風来坊でいい。それに限る。どこまでも異質な何かが、絶妙なコンビになることもあるが、長くは続きやしない。それがいい。風来坊は、たまに現れるくらいからこそ、素敵なのだ。凡庸が非凡を助けて素敵な色を醸し出す時間。ジェリコの壁を越えるのは一瞬でいい。一瞬であっても、その価値は人生の中で減価償却することはないのだから。

 

貪欲なクリエイティビティはまるでドラッグ。壊れかけた資本主義はもう晩年だというのに。だが、今もみえない船出の為に、私達は永遠に準備中である。だから、ドラッグは欠かせない。そんな現代の申し子のような女、光。彼女はまるで機械仕掛けの人形のように、けたたましくも過剰なエネルギーを身振り手振りで発散し続ける。彼女はみえない卵を生み続ける鶏のようになることで、心身が壊れていることを忘れようとしてるかもしれない。工事中の新国立競技場が印象にやけに残る。建設は、スクラップへの不安を拭う特効薬のようだ。彼女が口にする、裏切られないかな?が私はとても気になった。関わる人達が、創造を台無しにするかもしれない不信感。それは人間に対する不信を越え、ひび割れた未来への疑心暗鬼にむしろ近いのではないだろうか。コンプリートすることでしか心身の未来を繋ぎとめられないのだ。例えれば、貨物船に貨物を積み終える前に、頓挫しないか?まぁ、無事に船出したら、それはそれで、凡庸な結果に飽きてしまうのでは、あるが。窓から逆さにみる街から生み出された想像、地の感触を確かめる想像から創造へのフィット感。東京オリンピックが、大地震で頓挫するかもしれない不安だらけのこの街。創造的な想像が、あぁ生きてるなと思える日もある。裏切りに等しい頓挫に自身を呪いたくなる日もまたある。そんなエキセントリックな光を受け止める南堀の凡庸な平凡さが、頷ける。従順な犬のような優しさが、ひび割れた光の心身を癒すのだ。〽消して、リライトして、とアジカンの曲を歌う彼女達。パートナーは、風来坊でいい。それに限る。どこまでも異質な何かが、絶妙なコンビになることもあるが、長くは続きやしない。それがいい。風来坊は、たまに現れるくらいからこそ、素敵なのだ。凡庸が非凡を助けて素敵な色を醸し出す時間。ジェリコの壁を越えるのは一瞬でいい。一瞬であっても、その価値は人生の中で減価償却することはないのだから。