奥寺佐渡子の脚色には、「戯画」はない。・・・しかし、重なり合う時間がそうであるように、ひととひとが多重に重なりあい、傷を、罪を、庇い合い、そのために何物も惜しまない投げ出すかのようなアクションには何かを象徴している。・・・劇画のようにペラペラとページをめくるような画面のアクションも可能には違いない。その描きかたを選択する作り手を否定するつもりは私にはない・・・しかし、この相次ぐアクションの突出と重なり合いの重さを無技巧に供えて行く様にこそ素晴らしさがるのではないだろうか?・・・彼女と共作したこともある荒井晴彦がそうであるように、ひととひとの関係がどんなに遠く離れて疎遠にみえても繋がっていること?・・・「密」であること・・・この「密」ありきであると思うのである・・・この「密」が空間と時間が行ったり来たりの振幅の中で揺られながら・・・やがて、濃密さが醸し出される。・・・犯人は誰?・・・物語の宿命でそのような憶測は避けられないものの・・・例え、その発端が例え事故のようなものだったとしても・・・あらゆるひとがあらゆるひとを庇っているのであろうし・・・その意味ではあらゆる人たちが当事者どころか・・・犯人だともいえる。

 

今回で、真田梨央(吉高由里子)は、幼い弟の持って回った告白を受ける・・・ガラケーのカメラ映像に映っていたこと・・・あの嵐の日の顛末、だ・・・消す彼女、その映像・・・網膜には焼きついた、が・・・弟を護る決意!・・・庇うことで既に彼女は共犯者、だ。

 

この姉弟の関係性、これを見守るひとたちがいる?・・・そこにまた新たな関係性がある。・・・汚れてしまった、過去。・・・その汚れわたしも引き受けましょう・・・いや、わたし、も。・・・大学寮に薬物を持ち込んだ学生・・・彼は汚れの根源、だ・・・いや、汚れててもわたしの息子です、と・・・執拗に探す、その父親・・・その父親も殺された・・・ホテル、紙袋に札束・・・何故?・・・汚れを汚れで隠す?・・・誰、が?・・・汚された姉弟を護るために?・・・みなが、わたしが悪いんです、そうですわたしです・・・いや、あなたは悪くないの・・・汚れを汚れで隠す?・・・なけなしのアクションである。・・・それを繰り返す・・・誰が・・・なんのために・・・あなたのため、だ。

 

宮崎大輝(松下 洸平)は、孤立する・・・自分だけ、あの夜の汚れの外にいたことを・・・あなたの何かを引き受けられないつらさ・・・警察官に、何故なった?・・・それは、あの大学寮を汚されたからなのだけ、ど。