去年の今日はこれを書いていたのか
・・・・・庶民は溜まっている・・・・・・更に溜まるかもしれない・・・・・・でも、更に我慢することになるんだろう、な。
・・・・・・・・・近いようで遠く、遠いようで近い浦安の街。
腕相撲・・・小鉄初恋?・・・桜(岸井ゆきの)身ごもり?
すべては、母・順子(水野美紀)の妄想が成せるものなのであるが、そこに例によって、父・大鉄(佐藤二朗)の夜勤明けとは思えない飽くことなきパッションと、春郎(本多力)の懲りない発明希求精神とその奇妙奇天烈な装置が関わり、益々ややこしくなるのだから、救いはない・・・遂には、父・大鉄のドッペルゲンガーまでわたしたちは目撃することになる。・・・エネルギーなりパッションの持て余し加減がアナーキーな暴走に拍車をかけているのだ。・・・庶民は、かくのごとく、溜まっているのだ。・・・近いようで遠く、遠いようで近い浦安の街。
第10話を観て、何かいつもより、この家族を包む飽くことなき熱量ある質感に何かどっしりとした確かな重さ?硬さ?を感じたのは私だけであろうか?・・・例えば、腕相撲で妻・順子に勝つ強さを夢想する大鉄。疾走する地下鉄・東西線の姿。それが、インサートされると、そののスピードと重量感が彼の脳に乗り移ったかのように思えるのだ?・・・これは古典的なモンタージュの技法の転生をイメージさせる・・・同時に、リミュエール兄弟の撮った初の映画・・・機関車の走行である。
・・・そう。春郎の発明装置?すら何か頼もしくみえてくる・・・ピクニックならぬ子供たちの尾行?
・・・双眼鏡?盗聴器?いつになく制度が高い・・・或いは宇宙人に連れ去られた春巻(大東駿介)と宇宙人・星君との間で繰り返される知能テストのスラップスティックぶりも極みに達している?・・・みること。みられること。・・・そこでナチュラルに彼らが振る舞うこと・・・異化されているのではない・・・生かされているのだ。
母・順子の妄想はすべて杞憂であった・・・子供たちはそれぞれの時間で「らしく」呼吸している。・・・別々の時間にいることを見守ること・・・それが家族である。・・・すべては、リミュエール兄弟の撮った初の映画の延長線にあるかもしれない・・・なくても観たいのが『浦安鉄筋家族』である・・・だから、多分あるのだろう。
