毎回思うことではあるが、このドラマにはストーリーが盛り込みがやや多すぎるのではあるが、それを消化する速度云々よりも、個々の登場人物の背負う重さの方が優位に立つことで、モノローグを隠すかのようなそれぞれの表情とアクションにこそ、目を見張るものがある。その輝きこそ、「脚色」が効いているな、と思わせているのである。まず、個々を特徴づける彩がいい。着物の色が何かをまず掴むこと。その区別を「魅せる」ことに良さがあるのだ。その昔、鈴木清順が個々の女性の特徴を着ている服の色でわかりやすくした伝統もある。或いは、市川崑も『細雪』等は判りやすく素晴らしい。『私たちは・・・』について言えば、七桜(浜辺美波)が桜の色の感触、栞(岸井ゆきの)は秘めた情熱の赤、女将(観月ありさ)は妖艶な秘密の紫っぽい色である。
さて、波乱の第6話である。・・・年の一度開かれる大旦那主催の茶会・・・集まる面々・・・・・遺言書を探す女将・・・肌身離さぬ大旦那・・・揉み合い・・・卒倒する大旦那・・・火事・・・七桜はみた・・・鎖状された故人の部屋・・・そこで、彼の服を抱き締める女将。何故?・・・揉み合い・・・わたしが「さくら」だ。・・・椿が聞いていた、とは・・・燃える炎・・・「ここで待っているから」と七桜・・・大旦那の命、身を投げ出す、椿・・・炎、過去を呼び覚ます・・・炎の向こうに「さくら」・・・赤い炎を潜り、椿を救ったのは・・・栞だった。その情熱!
まぁ、なにしろ大忙しのストーリーなのであるが、色彩の乱舞と七桜の告白すら「屹立」のアクションとして切り立っていることで、明らかに「脚色」の精度がストーリーの消費速度等を上回っていることに納得させられるのである。個々の女性の秘めた内面を色彩が支援すること?つまりは、色の変化自体がアクションとして連なることで、文字通り「脚色」を担っているのである。ここに良さがある。
また、開かずの間で、重苦しく個々が背負う過去とそれを抱える現在の存在の疲労度合いが独特の息苦しさを観て、撮影所映画のような役者のアクションと衣装とセットの連なりの味わいを呼び覚ますのである。良い意味でのお約束とルーティンワークが展開しているのだ。
・・・七桜は消えた・・・栞が光月庵で働いている・・・大旦那は九死に一生を得た、椿により・・・年月が経つ・・・魂が抜けた椿。その表情
・・・・・・告白とは現実に酷薄になること?
別人となり、ライバルとして椿の前に現れる七桜。
菓子つくりの熱い鉄火場が切って落とされる。
私は、栞の秘めた情熱が七桜との対比でとても良いと思う。
色々な女のひとがいます。色も違います。・・・・・・単純なことであるが、そこに徹することで、いま・ここの面白さをこのドラマは提示しているに違いない。
岸井ゆきのは舌を巻く女優である。平常心で役を取り込み、炸裂する。・・・いいな、と思う。その役柄を脚色する色合と混じりあいながら、やがて空気爆発する食材のようにスパイシーであり、クリスピーである。・・・現在の足りないものを添えながら、独自のアクションを提示するのは、正に「脚色」ではないだろうか?・・・『浦安鉄筋家族』の女子高生の跳ね方も含めて、稀有の才能であり、欠かせない女優ではないだろうか?
