志摩(星野源)と九重(岡田健史)のキッチンの会話がいい。

連鎖的に運動する仕組み、とは?

・・・・・障害物があったり、横から押されて違う道に入ったり。

そうこうするうちに罪を犯したり、何かのスイッチで道を間違える。

自己責任、自分の意思でしょ、それは?

自分の道は、自分で決めるべきだ。だけど、ひとによって障害物の数は違う。

ただしい道に戻れるひともあれば、取り返しもつかなくなるひともいる。

・・・誰と出会うか?出会わないか?このひとの行き先を変えるスイッチは何か?

その時が来るまで誰にもわからない。

 

ピタゴラ装置のパチンコ玉の動きと落ち方に、志摩・伊吹(綾野剛)・陣馬(橋本じゅん)・九重の4人の行く末を準える。このモンタージュ技法がいい。何故良いかといえば、捜査チームの行く末だけでなく、犯罪を犯す人たちのある一線の越え方とその更生を準えているのであり、更に、所詮は、只の古典的なモンタージュにすぎないよ、と達観した退屈しのぎお遊びのように戯れているのがいい。深く意味ありませんよ、を深く語っているのは自身を嘯いているからである。・・・この嘯きには、どこか野心めいた気持ちも見え隠れしており、その呟きには深みがあるのだ。

 

・・・・・陸上高校生たちは、悔しかった。上級生たちの麻薬売買で廃部とは。

頻発する通り魔に便乗した、イタズラ通報。

・・・ヴァーチャルなゲーム。警察の追走を振り切ったら勝ちとは。

リレーですっきりしたかった?連帯って奴?

・・・・・・・こんなことしてもなんにもなんない、けど。

 

パチンコ玉の動きと落ち方は危うかった。でも、手前で止められた。

・・・水槽に犯人ごと落ちた、伊吹と志摩。犯人の手には、電気ショック機器、あっ?

だから、米津玄師の『感電』?

とは思うものの、連続ドラマだから、大事ないだろう。でも、うまい、なと思う。

続けてほしい、と思う。

 

ネット社会、それは自警警察?・・・顔は知られた。

いま・ここから始まるこれからは、うざいほど長い。

それでも、パチンコ玉を動かして動かねば。

何処かへ。

 

・・・・・ふと、頭によぎった。

「連鎖的に運動する仕組み」、のことだ。

・・・・・これは、ある犯罪と全く別個の犯罪が繋がったいることも、意味するのでは?

ドラマの連続の真の意味は、そこにあるのでは?