生死をさまよう 1 | ゆるーく子育てやってます♪

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アラフォーで出産。細かいことは気にしないテキトーママの子育て記録です。

今回は大学病院で生死をさまよっていた時の話ですニコニコ

※※ 妊娠・出産後にイロイロありました…
詳しくは、《こちら》から過去記事を御覧ください ※※


2016年1月18日の晩、総合病院から大学病院へ緊急搬送され、色々な検査をしました。

輸血、大量の点滴、人工呼吸器を装着されました。

搬送された大学病院には高度救命救急センターがあり、そこの重症患者のところへ入院することになりました。




高度救命救急センターは一般病棟の面会時間とは異なり、お昼の1時間、夕方の1時間だけ面会できます。

一度に面会できるのも二人までと決まっていました。



搬送されたのは21時頃。

処置が終わったのが23時頃。

面会時間はとっくに終わっていましたが、初日は特例で夜中の1時くらいまで旦那も母も一緒にいてくれたみたいです。



私は人工呼吸器をつけられ、呼吸器のチューブを触らないように両手をベッドに縛られました。

足は血栓予防の機械をつけられ、鎮静剤でほとんど眠っているような状態でしたチーン

話しかけられると目が覚める時もあります。

でも、呼吸器が入っているので喋れません。



看護師さんが筆談できるようにと、紙とペンを用意してくれました。

用意してくれたのは嬉しいんですが、ベッドに手を固定されているので筆談したくても自分からはできませんアセアセ

声が出せないこと、自分からコミュニケーションをとれないことが大変で辛いものなんだと思いしらされましたショボーン



私が処置されてる間に旦那は義父母へ、母は父へ状況を伝えたようです。

義父はちょうど東京へ出張中でした新幹線

出張から戻り次第、義母と大学病院に来てくれると言ってくれたそうです。



母は看護師さんに「実家は遠いそうですが、お父さんを呼ぶことはできませんか?」と言われたそうですアセアセ

父に電話し、看護師さんに来れないかと言われたこと、私のことを見ているのが辛いと言ったそうです。

父が翌日19日の朝イチの飛行機で来てくれることになりました飛行機


続きます。




多分、搬送翌日に筆談していたものです。

あんな状態だったのに、生死を意識することはできたんだなと思いました。

書いたときのことは覚えてませんアセアセ