《お見合い結婚体験談 35歳女性》
【あらすじ】
これは20年くらい前のお話です。最初は本人ではなく、母親が一人で、娘の結婚が遅れていることを気にして結婚相談所を訪ねたのでした。
今でこそ、女性の35歳と言っても、本人はともかく周りはあまり気にしないが、当時はやはり行き遅れとみられていた。
母親は、「あの子が23歳の頃、好きな男性がいたのですが、主人が猛反対して引き裂いて…」と話し始めた。
娘は立教大学を出て大手商社につとめ始めたころ、出入り業者の男性と恋に落ちた。母親は、娘から「優しくてこの人しかいない」と言われて、相手の男性を紹介された。
30歳、専門学校卒、彼の父親が経営する金属・樹脂加工の試作品製作会社の後継者だという。確かに人当たりはよくて、優しい。
娘は入社したばかりの商社をやめてすぐにでも結婚したい、という。それはなだめて勤めさせたが、そのうち父親が乗り出して、破談にまで持っていってしまった。
それ以来、誰かを好きになるというそぶりはみられないし、結婚をしたくないと思っている節があるらしい。だから結婚相談所に入会させれば、相手を探せるかと思って来社した、という。
《相談者》
【伊藤裕子=いとうゆうこ=(仮名)35歳・次女・立教大卒・初婚・会社員・新座市在住・初婚159cm・ 50kg・ 父67歳・大卒・母61歳・大卒・姉37歳・大卒・既婚】
《親に結婚を急かされるが結婚したくない女性》
母親がウチに来社してから半年も過ぎようという土曜日の夕方、その伊藤裕子さんは訪ねてきた。
母親に促されていたのは間違いないが、予約の電話をくれた時、「そちら様の今日のご都合が悪ければまた日を改めますが…」と、いかにも訪問を先送りにしたがっているようで、消極的であった。母親に急かされて仕方なく電話を掛けてきている感じである。
私はこのまま終わると、彼女の母親と行った面談の時間がもったいないとの思いと、娘さんの年齢が35歳なので、早めの結婚が望ましいとの判断で、土・日の当日予約は難しかったが、何とか面談のスケジュールに入れた。
「お忙しいのにお時間をいただきまして恐縮です」
と、彼女は相談室の席に掛けるとすぐ、謙虚で礼儀正しく挨拶をした。育ちの良いお嬢様という印象である。併せて大商社の新人教育で鍛えられているのかとも思った。
面談の前に書いてもらう結婚相談所の「良縁アンケート」では、父親が「東大卒」母親が「上智大卒」、姉が「お茶の水女子大卒」とあった。本人以外の卒業大学名は任意としてあるが、彼女は堂々と全部書いた。
「ところで本日は結婚相談ということでよろしいですか」
私はそう切り出した。すると、彼女は、急に驚いたように、
「あっそうですよね。こちらは結婚相談所でしたね。ただ私の場合、結婚相談というよりも、どちらかと言いますと、なんと言いますか“なぜ結婚するのか?”のご相談、と言ったほうが…」
「けっこうですよ。同じことですから」
というと、安心したようであった。私は続けた。
「みなさんウチに結婚したいと思う相手はいるのかいないのか、ということでいらっしゃいますが、つまり結婚とは何か、を考えてご入会なさると思いますよ、けっきょくはね」
彼女は胸に両手を当てながら、
「私、結婚はしたくないと考えているのですが、母や父は“一度は結婚したほうがいい”ってそういうんです」
「“一度は…”ですか」
「そうして“結婚したら一人は子供をつくったらいい”ともいうんです」
「一人は子供をつくれと…」
「そして父なんかは“夫婦は添い遂げるのがなおいい”などというんです」
「添い遂げろ、と…」
「そうなんです。たぶん、私がまだまだ子供だと思っているんですね。そうじゃなきゃそんな子供だましのような言い方はしませんよね」
「子供だまし、ねえ…」
「そんな論法ですと、結婚しろというのといっしょですよね」
「そうですよねえ」
「だいいち、一度は結婚しろっていうのは、要するに結婚しろってことですよね?」
私はおかしくなって笑った。彼女もつられるようにほほ笑んだ。
《他に誰か好きな人がいる?と直感的に感じる》
「まあ、これは親心と言いますか、子供がふつうに結婚して、子供をつくって欲しいと思うもののようですよ。親御様のお気持ち、私にはよくわかりますが…」
「私も親の思うことは痛いほどわかっています。でもさしあたって相手もいませんし、恋人ができる、というより今結婚の対象になる男性が現れても好きになるなんて考えられませんので…」
「えっ」と私は声を出した。直感でなんとなく、他に誰か好きな人がいるかも?と思ってしまった。
「母が、こちらのお仲人さんはいい人だから、一度お会いしておきなさいというものですから今日は伺いました」
「それはわざわざありがとうございます。ありがたいことですが、あなたのお気持ちを伺っただけで、問題は何か解決しましたか?」
「はい、先生とお話ししていますと、何かお優しい中に、心をお見通しさられている気がしまして…」
と彼女は言って少し間をとった。
「あのう、出直してきてよろしいですか?少し、先になりそうですが…」
そうして玄関で深々とお辞儀をして彼女は相談室を辞した。
《好きだけど結婚できない理由心情を吐露する》
その後、3カ月ほど音沙汰がなかったが、ある日の日曜日、面談の波がおさまった夕方近くなって、伊藤裕子さんから電話があった。
その様子が、例の落ち着いた物腰ながら、何か切迫しているように感じられた。私は面談を承知した。
彼女は丁寧な訪問の挨拶のあと、ゆっくりと切り出した。
「実は、世間でいう不倫をしていました」
というと、わざとなのか?目に力が入っていて、女のなよなよしたところがみじんも感じられない。私はここで「えっ」と一応驚きを見せなければならない。
しかし、この程度の“男女関係のもつれ問題”は数多く見てきている。「どこの誰と?」とたずねそうになった。
「職場の上司です」
彼女の方から言った。
「よほどかっこいい人なのですね」
これは、私が質問したい事柄ではなかった。眉間にすこししわをみせている美形の彼女を見ていて、思わず出た言葉であった。彼女の反応はなかった。
「大丈夫なのですか?」
と言い直して“職場環境”について心配した旨述べた。
「それは大丈夫です。つい一週間前にサヨナラしました。会社の部署が違いますから毎日顔を合わせることもありませんので…」
「サヨナラしたのですか」
3カ月前に私どもへ来る一年も前から続いていたという。一人で訪ねてきた時の彼女の言葉で直感したことが当たっていたことになる。
「先生、私、本当につらかった。いいえ今もつらい…」
彼女はハンカチをバッグから出す前に、涙粒を頬にこぼした。それを見て私も思わずもらい泣きした。
「たいへんだったわね…」
私は言葉の語尾がはっきり言えない。なんだか自分の娘のように思えてきて、また泣けた。
すると彼女はテーブルに両腕を輪にしてそこに顔をうずめて「わあ-」と遠慮なく突っ伏した。まるで淑女の仮面を脱ぎ捨てて子供に戻ったように号泣した。
《社内不倫終わらせなきゃという重圧との闘い》
落ち着いたところで話を聞くと、エリート社員が集まる部署との合同パーティーの席で話しかけられ、次の約束をさせられ、“いけない”と思いながらも、ずるずると会うようになった。
花形部署の、ひと回り上の若い部長さんとのこと。東大卒のスポーツ万能で、生え抜きのエリートであった。妻と子供が3人いるという。彼女にとって初めての男性であった。楽しい一年半であったともいう。
それだけに別れるのがつらいけれど、続けていても彼のためにはならないし、実らない恋だし、あちらの奥さまのことを思うと、この背信行為がいかに罪なことかと思うようになった。
それも私と会って、なにか吹っ切れたように“別れなきゃ”と思ったという。
「先生もおっしゃいましたよね…」
まだ涙声である。
「みんな結婚を考えて入会するのだって…」
「いつもそうだと思っています」
「それで結婚というものを真剣に考えてみたんです。両親をみても、姉夫婦をみても、いつも多少の波風はおきても、総じて人間として幸せそうだと思いました」
彼女はもう泣いていない。
「私もその家族の一員だと思うと自分が恥ずかしくなってきたんです」
彼女は続けた。
「ひとりだけはみ出し者になっているのは嫌だと…」
「別れるのってホントにたいへんでしたでしょ?」
裕子さんはまた頬に新しい涙をこぼした。
「妻子を捨てるから一緒になってくれって…」
語尾が聞こえない。涙が大粒になった。私は彼女を抱きしめてあげたいと思った。
《結婚を考えるようになれたのは先生のおかげ》
「それでも私は、両親たちの顔を思い浮かべながら、はっきり拒絶しました。彼の決意はホテルの部屋の中だけで、外へ出れば実行できないことはわかっていました。実行すると言っても私はついて行けない。いずれは社長になるような人が、妻子を捨てて不倫相手と結婚するなんてことはできっこないし、彼の妻子との歴史の濃さを考えてみても、私では追い付かないと思いました。そして私が彼のお嫁さんの側で、その捨てられた妻子をながめることなんてできません。私は一年半、ただ彼の優しさにすがっていただけで、目まぐるしく時間が過ぎていただけでした。でも先生にお会いして“結婚を考える”ようになって、結婚って、愛する人と畑を耕して、種をまいて、実りの時を待って収穫して、お互いに喜び合うということだと思えるようになりました」
話している彼女の顔に赤みが差して、ほほ笑みがでるようになった。私は思わずテーブルに載せてある彼女の両手を握りしめた。
「偉いわ、もう大丈夫ね、よかった!」
と私は舞台で芝居を演じているような(たぶん)気分になり、なにかいつもの相談とは違うという感覚になった。
「先生、私ね、彼との恋愛が純粋なものと思っていました。20代前半に恋をして得られなかったものを求めていたんです。あと先考えずに突っ走ってみたい、それがかけ甲斐のないものに見えていたんです」
彼女の母親が言っていた、彼女が新入社員の頃、恋に落ちて、その恋も父親が強引に引き離して、ダメにしてしまったことを今話している。
「でもわかったんです。純粋な気持ちは尊いけれど、それには正当な社会性が必要だっていうこと…」
「そうよね、人間は一人で生きているわけではありませんからね」
私の言葉に、彼女は深くうなずいた。ところで、いま一番気になることを彼女に聞いてみた。
《彼と別れた後は自分を見直して後戻りしない》
「裕子さん、彼との交際、今も、以前も誰かが知っておられますか?」
「いいえ二人の関係は誰も知らないはずです。職場でも、彼の家庭でも、私の家族も誰一人、この恋愛が始まったことも、終わったことも知らないはずです。いま思えばぞっとするのですが、まるでサスペンスドラマの主人公のようでした」
「それはある意味つらかったでしょうね」
「はい確かに。母にだけは打ち明けたいと思っておりました。母だけは味方になってもらえたと思いますが、でも我慢しました」
「そうでしょうね」
まさに同情を禁じ得ないし、同時に伊藤裕子さんの意思が堅固であることに驚愕する。
「よく、我慢できましたね」
と私。
「その分、先生にだけぜんぶ言えました。ご迷惑でしたでしょうか」
「いいえ迷惑どころか光栄ですよ。うれしいわ、頼りにされて。でもこれからは彼に誘われても二人きりには決してならないことね」
「わかっております、会えばせっかくの決断が揺らぐと思います。ですから電話も出ません」
「そうなのね」
そうか、話を聞く側は“一件落着”と思っても、当事者はこれからが勝負なのか。嫌いで別れたわけじゃないだけにそういうことなのか、と改めて人を好きになることの難しさを感じた。
《心のモヤモヤを晴らした彼女にシステム説明》
「あのう、それで結婚相談所へ伺って、そのシステムも何もわからず帰るというのも失礼ですね」
「いいんですよ。気をつかわなくても…」
それでも彼女は聞かせてください、というので説明した。
仲人さん(カウンセラー)が、自分のところに入会した会員さんを早く結婚させるために、全国2,500結婚相談所の情報を連盟に登録して共有し、一定のルールに基づいて出会い(お見合い)をつくるシステムを説明した。裕子さんは目を丸くした。
「それでは仮に、一つの相談所が平均20名の会員さんを擁していると仮定しますと、全国にはざっと5万人の会員が存在するという・・・」
「もっといますよ、ただ、学歴や職業、年齢がまちまちですから検索してみませんとね」
「そんなに会員さんがおられるんですか」
「そうです。人口の密度からして、やはり1都3県が圧倒的に多いですね。ただあなたの場合は、立教大学を卒業されておられますから、ほかの女性より選ばれる確率が少し低くなります」
「そんなものですか。でも私はお相手の学歴などまったく気にしていませんので…」
「あなたが気にしなくても先方が気にします」
と私は笑った。彼女はきょとんとしている。
「私を入会させてくださいますか?活動開始までに用意する必要がある書類を準備してまた伺います」
と言って、彼女は、その日の失礼を詫びて玄関を出た。
《まとめ》
伊藤裕子さんがすっきりした面持ちで、書類を一式そろえて、母親と一緒に顔を見せたのはそれから3カ月後であった。いろいろ葛藤があったのであろうと容易に想像できた。
入会してからは一心にお見合いに邁進した。けっきょく半年後に、38歳、169cmの慶応義塾大学経済学部卒の純情そうな男性と結婚のメドをつけたのであった。
(この項了)
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