「一家のお母さんとは、一社の社長さん」

 


家族のそれぞれの主な役割は、

お父さん・・・外で働いて、お金を稼いでくる人。

お母さん・・・お父さんが持って帰ってきてくれたお給料から、収入に応じて、支出を考え、組み立てる人。(食費・・光熱費・・交通費・・子供達の習い事・・などなど)

子供達・・・よく遊び&よく学ぶ&よく食べる人。
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お父さんが、外回り専門の営業部長さんだとすると、

お母さんは、その家族の社長さん。

すべての部署(人間達)が、きちんと機能しているか
毎日毎日チェックし、修正&訂正&感謝&謝罪&称賛・・・などなど、
手間暇をおしまずそれぞれの部署へ、手と声を掛けて行く。

支出の方が、収入よりも多ければ、その会社(家族)は、倒産してしまう。

時には、お母さんがパートに出ても、
時には、銀行でお金を借りきても、

今月末を繰り越さなければならない。

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人生の中で、自分の子供と一緒にいられる時間ほど、幸せで尊い時間はない。

そして、子供は、18才で、巣立って行ってしまう。

その時間は、きっと、あっという間だろう。
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私の場合、わが社(わが家族)には、外回り専門の営業部長さんがいない。

毎月一定のお金が入ってこない。

見るからに、この会社は、赤字倒産会社だ!

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だからと言って、私は、営業部長さんに頭を下げて、“客(お金)を持って帰ってきて下さい!”とは、言いたくない。どうしても言えない。

会社(家族)とは、それぞれが支え合って成り立っているものではないのか???

私には、それは、社長さんであるお母さんが、頭を下げて、お願いする筋(スジ)の話しではないと思う。

この子供達が存在するのは、
この会社(家族)が形成されたのは、
お母さんが子供を産んでくれたからだ。

印刷工場で例えるなら、
印刷機を購入できたのは、
社長さんが、親戚縁者から、印刷機購入代金を集め、印刷機を買う事ができたからだ。

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お母さんは、
必死で産んだその子供を、その日、その瞬間から、毎日、毎日、せっせと、必死になって子育てし、

子供達が小学校へ入学し、子供が、自分の名前を漢字で書けるようになったころ、

ほっとして、一息ついた・・・・ふっと気付くと、家の中に、ダンナさんがいない。

ダンナさんは、どこかへ行って、いなくなってしまった?

・・・・・・・

“家族を残して、ある日突然、家を出て行った人間が、残してきた家族にお金をいれないという。居場所も教えないという。“

そんなことを、2年も3年も無視し続けることができるという、その冷酷&残虐な神経が、私には、信じられない。

心から軽蔑し、泥でまるめた土の石を、あなたの顔めがけて、投げてやりたい。

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しかし、

” 恨み辛み“という雑念があると、

会社(家族)の経営が、うまく行かない。

ダンナさんが家を出て行った瞬間から、

ダンナさんのことは、一切、忘れる。
(これが、とても勇気の入ることで、なかなかできない。ずっとキャッチャーを務めていたお母さんが、ある日、いきなりピッチャーをやるようなものだ。責めと守りの役割が、逆転する。身体と気持ちの転換させることだけでも、たいへんな作業だ。)

考えずに、

今度は、神経をすべて、”お金を持って帰ってくる。”

という一念に集中する。

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アフリカのサバンナで、ライオンが1頭のシマウマをしとめる時のように。

大海原で、漁師さんが、巨大マグロをしとめる時のように・・・。

全神経を獲物に集中しなければ、獲物(お金)なんていうものは、持って帰ってこれない。

不倫中のダンナの安否を、考えている余裕はない・・・・。

そして、獲物を家へ持って帰ることができる喜びとは、今ままで味わったことのない程の喜びだ。