以下、あるインドのお坊さんからの言葉達だった。
当時の夫の不倫を、大変理解でき、多大に救われました。ありがとうございました。
そういえば、元夫の実父はアルコール依存症で、父子関係は傍から見ると他人同士のように見えた。

 

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世には、純粋な愛と、快楽の愛=不倫があります。
快楽は愛のほんの一部にすぎず、

快楽とは、愛の中で一時的に体験するものです。
純粋な愛とは心と心の深いつながりです。

純粋な愛とは、相手が感じていることを自分も感じられることで、

心が大きく開かれた状態であり、相手の喜びをまるで自分自身の喜びのように感じ、共に祝福することができます。

また、相手の悲しみや怒り、不安を感じ取り、その苦しみから救い出そうと手を差し伸べることでもできます。

純粋な愛は、快楽の愛とはまったく異なるものです。

それは一時的な恋愛の高揚感とは比べものになりません。


まずはじめに、恋愛について理解しましょう。

恋をすると、脳は快楽の状態に入ります。すべてが美しく感じられます。

月も、木々も、葉っぱも。

普段見慣れている景色でさえ、恋をしているときには特別に輝いて見えます。

その恋愛感情を支えている化学物質がドーパミンです。

ドーパミンは快楽を生み出す脳内物質です。

恋愛中の脳は、恐れや社会的な判断が消えた状態になります。

だからこそ「恋は盲目」と言われるのです。

しかし残念ながら、この恋愛による高揚感は長続きしません。

なぜなら、その幸福感を生み出していたドーパミンの分泌は、やがて落ち着いてしまうからです。

そしてドーパミンが減少すると、関係は日常的なものへと変わります。

批判や不満、欠点探しが心の中に現れ始めます。

ドーパミンの問題はここにあります。

一度その快感に慣れてしまうと、脳はさらに多くのドーパミンを求めるようになるのです。

絶え間なく求め続けるため、決して本当の満足には至りません。

むしろ不足感を感じ、さらに強い快楽を求めるようになります。

幸福感をもっと、もっとと追い求めます。

どれだけ快楽を得ても満たされることはありません。

むしろ空虚さが残り、さらに求め続けることになります。

まるで永遠に飢えているような状態です。

 

この恋愛による高揚感への飢えや、快楽への渇望は、本当に愛なのでしょうか。

真の愛は、与える人も受け取る人も共に満たします。

そこに飢えはありません。

この飢えこそが、人々が恋愛の高揚感を追い続ける無意識の衝動です。


恋愛の高揚感が消え去り、まだ真の愛に目覚めていないとき、人はどうするでしょうか。

その飢えを満たそうとして、「問題は相手にある」と考え、新しい相手へと向かいます。

再び恋に落ちるために、新しい人を探し続けるのです。

そして恋が終わるたびに、深い落胆やうつ状態へと落ち込んでしまいます。

これは薬物依存と同じくらい危険な問題です。

快楽への終わりなき飢えは、大変危険な弱さなのです。

それは人生を壊し、人間関係を壊してしまいます。

しかし、この快楽への飢えを乗り越えることは可能です。

崩壊から、意識の大きな飛躍へと進むことができます。

その例として、インドの古典的な人物、トゥルシーダースの物語を紹介します。

彼は恋愛に溺れた人でしたが、後に悟りを開きました。

トゥルシーダースは、生まれた時刻が不吉だという理由で、両親から捨てられました。

生まれてすぐに見捨てられることは、子どもの脳や心、意識にとって最も深い傷となります。

多くの人は、新生児は寒さや温かさ、身体的な痛みしか感じないと思っていますが、

しかし実際には、新生児の意識は非常に開かれた状態にあります。

歓迎されているのか、拒絶されているのかを、生まれた瞬間から感じ取っているのです。

生後まもなく愛情や温かな抱擁、優しい触れ合いを与えられない子どもは、成長してからも愛を求め続ける身体的・精神的な状態になりやすいのです。

母牛が生まれたばかりの子牛を何度も舐める姿を見たことがあるでしょう。

愛情のこもった触れ合いは、それほど大切なのです。

愛を受けられなかった子どもの中には、深い心の刻印が残ります。

それは破壊的な心の痕跡となり、生涯にわたって愛を求め続ける原因になります。

 

トゥルシーダースもそのように育ちました。

やがて美しい女性と結婚し、人生で初めて恋愛の幸福を味わいます。

彼の脳は愛とドーパミンによる快楽で満たされました。

しかし彼は、その快楽を愛そのものだと思い込んでいたのです。

彼は妻に強く執着していました。

ある日、彼が留守の間に、妻は実家で起きた緊急事態のため帰省します。

帰宅した彼は妻がいないことを知り、激しい喪失感に襲われます。

その夜は激しい嵐でした。

雷鳴が轟き、大雨が降り注ぐ中、彼は妻に会うために出発します。

荒れ狂う川を泳いで渡り、妻の実家にたどり着きます。

誰もドアを開けてくれないため、彼はつる草につかまって塀を乗り越えました。

しかしそれは、つる草ではありませんでした。

巨大なニシキヘビでした。

彼の異常な行動を見た妻は驚愕しました。

そして彼に言いました。

「あなたが私に抱いているものは愛ではありません。」

「これは狂気です。」

さらに彼女は言いました。

「私は一生あなたの快楽への渇きを満たし続けることなどできません。」

「こんなものが本当に愛なのでしょうか。」
その言葉は、燃え盛る炎に冷水を浴びせるような衝撃でした。


彼は怒りと苦しみを抱えて立ち去ります。

しかし徐々に気づき始めます。

妻によって自分の渇望を満たそうとする依存心が、自分を奴隷にしていたことに。

それが自分を盲目にし、賢明さを失わせていたことに。

彼はあまりにも執着していたため、妻に自由も空間も与えていませんでした。

そして、自分の愛着は愛ではなく依存症だったのだと悟ります。

それは治療すべき病であり、その治療法は内面への旅でした。

そこから彼の悟りへの道が始まったのです。

崩壊は、突破口へと変わりました。

あらゆる依存は奴隷状態です。

相手に依存しても、物質に依存しても、快楽に依存しても同じです。

その結果、人は愛を失うことを恐れながら生きることになります。

心を開いて、恐れのない愛を感じてください。

失望のない愛を。

飢えによって作られたのではない愛を。

必死にしがみつく必要のない愛を。

愛への飢えが消えたとき、そこに残るものこそが愛です。

愛に飢えている状態は、愛ではありません。

その飢えが終わったとき、本当の愛が現れるのです。


その愛は、一人の人だけに向けられるものではありません。

すべての存在へと向かうものです。

快楽への飢えを超えたとき、あなたは愛そのものを体験します。

すると、30年、40年一緒にいても、なお相手と共にいることが喜びになります。

この愛は化学物質ではありません。

脳だけに限定されるものでもありません。

それは快楽への渇望でもなければ、愛への飢えもありません。

心に存在する4万個の神経細胞(心臓神経系)が目覚めたとき、愛の体験が生まれます。

この愛は、あなた自身から放たれる光のようなものです。

それは人間の意識の中で起こりうる最も壮大な体験の一つと言えるでしょう。