旭化成バレー部です こんにちは

 
                                              「南選手中央」・・28歳 No1
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                                                                       「私,21歳」No7
 
               
 「オリンピックの南選手」 と一緒にプレーしないか?、
 
「 最後の夏の全国高校バレー(大分大会)」・・・・終了後
スカウトマネージャーの 誘いに・・ 「えッ」   ホント 東京オリンピックのあの選手と・・・・
同じコートで バレーボールができるの
   
 
        コツコツ練習し努力の甲斐があった
 既に 進路は決まっていたが ここが「ターニングポイント」 
 他を、丁寧にお断りし 降ってきた話に
  オリンピック選手2人もいる 「旭化成」に決めた。
   学校の恩師、同僚 監督も 家族も大層喜んでくれた。
 
             入団後
 
  ≪実業団≫企業スポーツとしての 日本リーグ6チームの地位を維持する、旭化成
    張り詰めた緊張感は時間を忘れるほどでした 学生時代とは違い 不思議に疲れは残らず、アッと言う間の6時間の練習でした
練習を終えた選手との夕食時の会話は弾んで ホッと一息つく時間でもあった
 
・・愛宕寮の 賄さんの【特食】を作るアレンジ料理に、その場限りの単に手を合わせご【馳走様】は気の毒 気合いがはいつとらん。
 
自分が料理に携わり
あらためて料理作りは大変な事だ! 人間そのたち場にならなければわかりませね~
賄さん、 遅きに過ぎ、ご馳走様でした・ありがとうございました。
 
    
     
   今までは母親任せ 「洗濯、掃除、」身の回り ・・全ての事を自身で行い 
            真逆の生活 
      毎日の練習についていくのが 精一杯 忙しいが、充実した毎日でした。
   
 オリンピックの選手とルンルン気分で・・とんでもない
   そんな甘さはどこにもなく 厳しさの連続。 
今までの学生時代の経験は通用する訳もなく
   実力を試され,打ちのめされた、自己嫌悪に落ちた時もあり お陰で自分を省み 
   客観視するいいチャンスだったようです。。
 
      「誰もがかかる、一時の気の迷いだ」。・・頑張れ・・
       先輩に励まされた言葉でした
 
  私のデビュー戦は【NHK杯】 先発レギュラーで出場させて頂きました 
  打つ、拾う スパイク、レシーブ 上がったトスは、ほぼ得点につなげた記憶です。
           見事 監督の期待に応えたえ
      以来、チームの仲間入りの きっかけでした。
   
 
                   
             「旭化成」 寮生活
       〖企業スポーツ⦆として旭化成は
   バレー、柔道、陸上、水泳、の4種目を運営
  残念ながら旭化成バレー部は「2006」  廃部になった 
 
         世界レベルで
 
 柔道、陸上は 今も賑わっております。  
 
    
         全国から有望な若手の 選手を集め  
  宮崎県の延岡旭化成にスポーツ寮と称し、 各種目別 選手全員 40人程で 一堂寮生活をしていた。
     各部屋は10畳ほどの広さに2人 年齢を離して先輩と後輩で入居 
           
              
             食事は基本 朝夕2食…  
 
    寮食堂で異なった種目の選手との 交流は  
     試合に対する心構え、、、身体の力の抜きどころ、また入れどころ夜遅くまで
            互いにここ、あそこと話は尽きませんでした
 
  特に長距離の選手の試合の駆け引き、42km走っている時の・・・集中力
 個性的な話が聴け、面白かった、・・・・  
    
 走っている間は 好きな彼女の事ばかり考えてるよには大笑い
  バレーボールはそんな暇ないよ
       異競技でも、試合時と、練習との間の取り方は  参考になった
 
    地方に試合に出かけ帰りに その地のお土産は、ありがたく頂き
     近親感を深め 直ぐに打ち解け友達になった。
   
 
   練習で夜遅くなり、、電子レンジもない時代でした、
     賄さんが 丹精込め作って頂いた 料理は腹は減っているが 冷たくなり食べられない
          寮食をあきらめ 何人か連れ立って
 寮の近くのホルモン炭火焼  店のおやじさんも顔見知りになり
     寮生を応援してくれて 大盛をサービスしてくれた。毎日とはいかないが、よく行った
 
  延岡は家族含め2万人の旭化成の町 行きかう人 お店に入れば,・・
作業服の旭の従業員が必ずいた
  
 
 
   寮食堂には 自前で漬けたニンニクの醤油漬けなど置く 棚が
            食卓のすぐそばにあり
    大きく名前が書いてあっても  「無視」 。
   
   はちみつ漬け、ニンニク漬けなど、しっかり漬いてスタミナが付き 
             美味そうなものは
   狙われやすく すぐ誰かに食べられる。 ・・「またやられた」・・・・・・             
   【下剤入】りなんて書くやつもいました、  さすがに笑いましたね
   特に健康管理に気を遣う 長距離選手はマメに自作物を 
        狙われやすい棚に置いていた、 ・・おしとよしにもほどがある
          食べられたほうが  悪い?
    
   
   悔しがるのを傍で黙って見るのも また面白かった。・・・
          にんにく程度で、大声出すな・・・と
             
           ルール違反でも 寛容な時代でした・
          罪滅ぼしに食事の誘いも  欠かさなかった 
             
  
 先輩後輩は はっきりし 規律は厳しく寮内の、挨拶は 必ずした、
     【おはようございます、こんにちは、】 ・・・ 
 
   染みついた習慣で、挨拶しない奴は、今でも腹が立つ ・・・・・
 
          ー柔道部員ー
 
  あまり人相良くない 180cm以上の 豪力と肉体美を持ちの 
     柔道の選手は自慢げに分厚い胸と太い腕を見せつけるように 寮内を闊歩してましたが
  私より若い年下の強そうな奴でも必ず【ぺこり】頭を下げ、挨拶を欠かさなかった 
 
 
何処かで飲んで上機嫌の 一部の柔道部員 「真夜中」に 「一升瓶」を抱え 
    寝込みを襲う ストームには 困ったものでした。
                 
  寮は、ひと昔前の窓 2枚の窓を一本のねじで回し絞める・・・・ 
 ねじ式「鍵」は彼らには 役に立たない 
    廊下側の窓を2枚とも一緒に窓を持ち上げ、
    部屋に入って来る
 
ご丁寧にコップ持参で ・・何人かで襲ってくる 本職が掛ける 柔道寝技は身動きが取れないほど上手い 
 
お前ら、作法も礼儀も知らず、この技と力づくで 彼女をものにしたのか、  
       このバカたれどもがぁ~
 
 
 注いだコップ酒を少しでもお酒を口に付ければ、納得し部屋を出ていくが 
         その際 取り外した2枚の窓は
 
   窓枠にキチンとはめ込む その当たりは、気が利いていた
     また 次へと場所を変えるのであった 
 
      同じ事をやれば、返り打ち・・泣き寝入りです
しかし、後味悪い、感情は湧いてこなかった。
              
力と技では負けるので 大変でした。次の朝は何事もなかったように、
       廊下ですれ違う時、「おはようございま~す」  ですと
 
  「バレー部は 試合が近いから、静かにしなさい・・」 
         夜中に寮母さん大声で叫んでました。
 
 
 
                         翌朝
 由紀さおりの 夜明けのスキャット~ 「ル~ルルルル~」 
この曲が好きな気持ち悪い 
 身体と不釣り合いの
  柔道部員がいたな 新調したステレオで 朝早くから かなりの音量で聴いていた。 

 

 

 
 
バレー、【南将之】、 柔道、 【坂口征二】、   陸上、【宋兄弟】、オリンピック選手をそろえ、 旭化成での  彼らの給料は会社規定の「得A」扱いで 、我々、一般選手よりも、相当高い。
 
また、南選手は、ミュウヘンの奇跡として、語り継がれる逆転勝利の立役者となり、金、銀、銅の3種類のメダルを持ってるのは、南、猫田 バレー界では両人だけです。
 
 南 猫田、大古、森田、横田、  セッター猫田さんと南さんを省けば、
     3人は私と同年輩。
  現在は、団塊世代の、   白髪の似合う 良いじいさんですね。
 
  試合中 観客にきずかれないように 冗談の応酬 ネットを挟んでよく言い合ったものでした。  スパイクの   助走中に マツ、「腰が引けてんぞ」 猫さんは冗舌 口の悪い人でした
 
 
全日本の「南、 猫田」、のコンビは 「世界のスパースター」 一世をふうびした 有名人でした。
 
 
 
     「2mの身長」 体いっぱいで 豪快に笑う 
 
   温情豊かな人柄は、選手一人ひとりの日常の チョットした変化を、
 細やかに観察し 、自分から進んで、「おい、どうした」と 自然に 声をかける
     遠くて 身近に感じる人でした。・・・
 
      多少鬱陶しさは有りましたが、
 今思えば、本当に有難いことです。 今現在居ませんねこんな人
 
 気楽に相談に応じる・・ 思いやり深い人でした。 
 守勢に回る 選手と同じ目線で 「うん、うん」と真剣に聞く余裕は
      聴き上手 つい腹の内を話してしまい、 後後悔したものでした。
 
    これぞ日本が誇る、 南将之
      今でも 人生の指針の人です   
 
 
 
 
             「日本リーグ戦」 前夜
 
     東京体育館での 日本リーグ戦 延岡 出発の前夜に 
   チームメイトと どこか忘れたが2人でお酒を飲だ後  延岡で一番
   「ギョウザ」の店  【黒兵衛のギョウザ】が最後のコースです。
              
 肩を抱き合い バレー談議しながら 夜中の2時ころ 寮への帰り道でした 
    
    たまたま 南さんは、タクシーに乗って自宅に帰る途中 狭い延岡の街 我々二人を・・ 
    偶然 発見
            
 
  南さんは寮に先回りし 寮の玄関先で200cmの大男が両手を腰に
   仁王立ちで待ち構えていました。
 
 酔いは一気に覚め 血の気が引き、いやな 予感がしたのを思い出す
 
表情を素直に出す、分かりやすい人でもあったので これは尋常ではない
 
  
  また往復ビンタか、いや今日は、それ以上の仕打ちが来るな・・
     「マツ、こっちに来い」 激高が伝わる
 
 二人は、寮の2階の自室の前に呼ばれ きちんと正座をし、
    うなだれた顔にビンタではなく 
 予想通り下からの足けりを、無言のまま何発も食らった。
 
 試合前に夜更かしの件に関しては文句の 言いようもなく、代償も大きかった、
 原因は俺にあり 言い訳も釈明も通じない、
 嵐が過ぎるのを 無抵抗に待っていました
 
 連続30発殴られたと思うが、16文キックのつま先がみぞおちにヒット 
   やたら痛く、苦しい 息ができない エビ状になって曲がったところに、
  上から脳天キック 予想外の不意討ち.............
  
 
  全日本の選手も、こんな派手な 【KーI 】まがいの事をするのか、
      当時は【KーI】、有りません
 
  前歯は欠け 翌朝 顔が大きく腫れ、痛さで まともに 歯も顔も洗えない、 変形した顔になった。 
   もともと差し歯だったので、落ちた歯を、急いで拾った、その動作に、怒りを買ったのか、
  キックは勢いを増したようだった。         
 
               ・・翌朝 延岡発 【特急富士】
          東京まで寝台列車 延岡発am10:00~東京着 
 
 変形した顔は他の選手に迷惑をかけ 事情はともあれ申し訳ありませんね、、と
 
 列車の食堂車で 南さんと、気まずい思いで食べた記憶があります
  
 心配した、彼女が東京駅 【14】番線ホームまで迎えに来てました・・・今の妻 節子さまです
   
 
 
 
      …南さん自身も夜中2時ごろまで・
 
      延岡の街をうろついて、なぜ私たちだけ??
            この矛盾はどう説明する
       現在のスポーツ界では        大問題ですね
 
 
 
              ー南さんの素顔ー
 
       ほりの深い目鼻立ちで イケメン 身長200cm
       ファンレターは、羨ましい程、届いていました。
                                   
 
  もう一度酒を交わしたい・・「延岡の体育館」で「対人パス」・・・一緒にしたい・・・・な
 
   他人を思いやり、周りに 細心気を配り 配慮、そして自分んには厳しい
   ここまでせねば一流とは言わないのか、 先天的か、後天的か 
 
    選手の乱れた髪の毛が気になる人で、
 
 頭の後ろに手のひらを当て 髪の毛が指から出ていたら、
 床屋の命令 散髪は20日に1回 安月給には、つらいものでした。
 
 寂しがりやの一面も有り、 公私とも忙しい人なのに 練習の後よく 夜の街に誘ってくれました。
 
愚痴も聞きましたが、あいつは、・・・・・・・・・「スナック」 のカウンターでの話です
「義理、人情」は,人を計る 判断基準だった様です
  
 
、毎日6~7時間のれんしゅう 、本当にきつかった、
夏の バレーシューズは 汗でベチョべチョ 練習には2足持参でした。
 
        手抜きは勿論 論外です。
      
研究熱心で、何度も何度も、反復練習だった。、あきらめない 納得するまで  
工夫し技術的探求心と努力の人でした。・・・・ 良きお手本でした
  
 
 大阪府立体育館  「対東レ戦」  [私のレシーブ]  すぐ右横  「南さん」
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背中の3番は東レ 深尾さん
 
 
全日本チームで、海外に遠征行っても、  留守チームを気遣い 寮母さん宛てに その地の   絵葉書をまめにくれた。 心ずかいが有難かった。
 
 
          
    南さんのキチンと整理された部屋は、お見事でした。
   
                                                       
 部員のへ屋に  いきなり入ってきて【わっ】 ビックリさせ  
 \(◎o◎)/!すると大喜び、 膝を両手で叩き無邪気に喜ぶ 
今風の「ちょい悪オヤジ」でも有りました。息子、克幸さんに見せたいくらい
 
 
  ある日、冬季練習と称しボールを持たない 体力と持久力を付けるトレーニングで、 
   選手 皆で42Km「10km往復2回」 延岡の砂浜海岸を走る事になった。  
 
  風の抵抗を少しでもなくそうと 向かい風をよける為 南さんの すぐ後ろにピッタリ付いて走る奴がいて、 それに気がついた南さんは  
空中に向けて つばを【ペッ】   
風に乗ったつばは ・・ 真後を走っている 奴の顔に見事に命中 かかった奴は急いでその場を逃れた。
まさか上からつばが飛んでくるとは・・?  あまりの つばの臭さに、「わぁ~~」  
 のたうちまわり??? 海水で顔を洗う姿は  何度思い出しても、面白い
 
走った時間は よく覚えてはいないが,海岸は薄暗くなり 42km走り終えた後 、
      練習メニューにはなっかた、相撲である  
 
 砂に適当に円を書き 勝ち抜きをした   俺は南さんに寄りきりで負けた、 誰が最後に勝ったのかはよく覚えていないが、土俵際で、うちがけで 仰向けになって南さんは たおれた。   意外に弱かった南さんだった。
 
倒した本人は、真顔で本気だった。両者の力の入った. 
   真顔が 鮮明に思い浮かぶ。
 
 
 
その後、選手の誰にも明かさず、42km走った、1週間後に そのまま、旭化成の病院に
  肺結核で入院された。矢張り南さんは、普通の人間ではないい
 
  私の居酒屋開店のおりには、一番に駆け付け 沢山の寄付、
 いつまでも、後輩を思うやさしさ
ありがとうございました
 
 
      全日本の監督と、コーチのコンビ組めずに残念でした
 

  あと少し待っててください 沢山の経験、体験有り難うございました
  ご冥福をお祈りします。
                                  ≪南将之さん≫