WTCビル(現咲洲庁舎)への移転について覚えていますか?

 

この問題が「維新の原点」であり元祖「一丁目一番地」であります。

 

激論の結果、移転条例が2度否決(3分の2必要)、他方、購入予算だけが可決(過半数)されWTCビルの購入が決まりました。ビル購入後、「買ったのだから活用しないと損」という主張で、現在約2000名の職員を移転させています。しかし、今なお、庁舎問題(防災拠点のあり方も含む)は抜本的に解決されたとは言えません。

これからも府議会で議論を重ね、後世に禍根を残さない正しい判断が求められます。

咲洲庁舎には、長周期地震動対策等の耐震補強に膨大なお金をつぎ込んできました。また、年間の維持管理費等の膨大な経費が必要なだけでなく、職員の通勤手当の増額、職員が大手前と移動する時間やコスト等、数え上げればキリがありませんが、府民の皆様に大きな負担をかけているのが現状です。

知事の主張は、庁舎は「1本化」でなければならない。買い取り予算を認めさせたいときは、庁舎は「2つ」あっても大丈夫。購入が認められれば、コストがかかるからやっぱり庁舎は「1つ」、震災が起こればやっぱり「2つ」いる。紆余曲折の結果2つの庁舎が存在しています。

 

顧みて、WTC移転時、府議会での採決は記名投票でおこないました。各議員の投票行動は新聞各紙でも取り上げられ大きな波紋が広がりました。あの議員は○○派、あの議員は××派と、知事の敵か味方を区別するような表現であり、冷静な議論よりもパワーゲーム、数の論理で議会は動いていましたが、その動きが連動し、平成22年4月に「大阪維新の会」が設立されたのです。

 

維新の会に入るのはWTC移転に賛成することが絶対条件でありました。改革の方向性は一致していても、WTC移転に賛成してない人は、抵抗勢力、敵とみなされ、選挙では刺客を立てられ、沢山の議員が落選しました。


当時の庁舎議論を顧みて、あの時の議論はなんだったのか、あれから長い年月がたっているが問題は解決しないままであります。

2つの庁舎を使い続けるならば、維持費や大規模修繕費等、30年で「約1,200億円」の莫大なお金がかかりますが、移転を推進されてきた方々は、解決策も示そうとはせず、だれも責任を取ろうとされません。
 

東日本大震災時、咲洲は震度3でした。長周期地震動の影響で共振し、エレベーターが4基停止し職員が閉じ込められ、防火扉は47か所破損スプリンクラーが故障し上層階が水浸し内部機能は大きく損なわれました。
 

WTCビルが防災拠点になり得ない理由は、専門家会議での福和先生(超高層ビルの構造の専門家)の指摘や、ビルの揺れ幅が大きいというような単純な理由だけではありません。


河田先生(中央防災会議の座長)の話でも
①上町断層帯地震でも大阪市域は壊滅的な被害を受ける可能性がある。ライフラインが途絶し、咲洲庁舎は孤立する可能性が高い。

②東南海、南海地震が起これば、津波で咲洲庁舎周辺が水没する可能性がある。

③高潮でも咲洲は水没する可能性がある。

との指摘をうけています。
 

もし、大災害が大阪で発生した場合、防災拠点となる大阪府庁舎の果たす役割は大きく、咲洲庁舎を今後も庁舎として使用することを真剣に考え直す必要があるのではないだろうか。