「民意」を盾にするマスコミ各社が毎日のように世論調査を実施しています。政党や政治家はその世論調査に対し過敏に反応しています。『自分たちの所属政党が「民意」と一致しているのだろうか、政党支持率は下がっていないだろうか』等と選挙の心配をするあまり、「民意」という言葉に振り回されていると心配しています。

いくら主権者が国民であるといっても、全員が同じ考えであるとは限らないのであります。しかも、毎日毎日、「民意」を盾に国民が主権を行使すれば、その時々の風によって我が国は一定の方向に向かうことは出来ない。しかもその「民意」は誰の意見なのか、何であるのか、誰も解っていないのです。「民意」という言葉を間違えて使用し続ければ、民主主義の崩壊につながるのではないかと心配しています。

今更申し上げるまでもなく、我が国の政治システムは、「議会制民主主義」です。その言葉の通り、「議会制」「民主主義」なのです。ということは「議会」「民意」はイコールにならないことがあります。特に、情報の受け止め方によっては、両者は対立関係になることもあります。

無論、「議会制」とは、直接政治に参画して意志決定に関わるのではなく、それを地域の代表者の手に委ねるというシステムであり、言い換えれば、主権者は、直接的にその主権を行使しません。主権者の権利と義務は正しく代表を選ぶことです。

一方、「直接民主主義」とは、主権者が直接政治の意思決定に参画するシステムです。つまり、個別の政策ごとに主権者の意思が反映されるシステムであり、たえず全員の「民意」が反映される仕組みとなります。

「議会制」とは、むしろ個別の「民意」を直接政治に反映させない工夫がされています。何故なのか、理由は簡単であります。「民意」とは100人いれば、100通りの考え方があり、意思決定に参画する人の数が多いほど意思決定が困難になります。また、世代間、男女、地域等によっても「個別の民意」は大きく対立することがあります。

政治家は複雑な現代社会の中で「現実」と「理想」の狭間で、過去と現在と未来に責任を持った意思決定をすることが求められています。だからこそ、選挙で代表(代理)を選び、意思決定を委ねるのです。これが「議会制民主主義」の考え方であります。よって、公選職に求められることは、個利個略の「民意」から政治が不安定化することを避けるためのプロとしての議論を尽くすことであります。

しかし、今日の「議会制民主主義」が適切に機能していないのは歴然たる事実であり、私たちの「代表」「代理」たる議員の見識は地に落ちていると言っても過言ではありません。人格、見識のどれをとっても疑いたくなる人物が議員として、我々の将来と人生を決定しています。

どのようにすれば、この問題を解決できるのでしょうか。「代表者」の信頼性や人物そのものを見極める有権者の眼力にかかっていると考えます。首長や地方議員、国会議員に至るまで自分自身が投票した人物を当選後、厳しい視線、高い関心を持って見届ける必要があります。また、投票前には少なくとも事前に立候補者を調べておく必要があると考えます。近年では現職議員となればインターネット等で十分な情報を得ることもできます。有権者にとって必要なことは、政治家を厳しく批判できる、正しい知識を持ち得ることだと考えます。