こんにちは。野球好きのブログ担当髙橋です。

 

もう2月になりました。

2月といえばプロ野球のキャンプイン!

各球団が暖かい地方でキャンプを行っていますが、一番多くの球団が集まるのはやっぱり沖縄です。

 

実は私事ですが私もお正月休みに沖縄へ行ってきました(むしろキャンプインの時期に行きたかったのですが)。

写真は沖縄の那覇セルラースタジアムです。ここか!日本最南端かつ最西端のプロ野球公式戦開催球場は!と思ってバスの中から撮りました😆



 

 

沖縄といえば青い海!ビーチリゾート!というイメージもありますが、今回は歴史のことをあまり知らない愚息にも沖縄にどういう歴史があったのかを知ってもらいたくて、首里城やひめゆりの塔、海軍壕公園にも行きました。

首里城は修復中というか、いつ修復の目処が立つんだろうという状態でした。それはわかっていたので、半分寄付のつもりで行きました。坂がきつかった…💦

写真や映像ではありますが在りし日の首里城を見て、日本のお城とは違うということを感じてもらえたと思います。

 

ひめゆりの塔には、亡くなったひめゆり学徒たちの顔写真がひとりひとり飾られてありました。

しかし、一部にシルエットだけの方もいます。

 

愚息が「なんでこの人は写真がないんだろう」と言ったので、自分で考えてごらんと返しました。

 

なぜ、写真がないのか。

 

写真がそこにあるということは、誰か生き残った人が写真を提供したということでしょう。家族か、親族か、あるいは親しいご近所さんか友人か…

ではその写真がないというのはどういうことか。

 

それを考えてほしかったのです。

 

沖縄戦の死者は12万人、当時の沖縄県民は49万人だったそうなので、約1/4が亡くなったことになります。

実はこの数字、3○年前の入試で出たのです。

沖縄戦の死者を問われたのですが、私はわからなくて適当にでたらめな数字を書いてしまいました。後で確かめたら当然間違っていました。

もし沖縄へ行ったことがあって、こういう戦争の資料館を見ることがあったなら正解していたのかなと思います。

問題を解けなかったことが悔しかったのと、沖縄戦の死者をでたらめに書いたのはなんかダメな気がすると子どもながらに思ったのとで、今でもその問題のことは覚えているんです。

 

海軍壕公園にはかの有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の資料がありました。

私ももちろんその言葉や大まかな内容は知っていましたが、なぜ大田司令官がそのような電文を残さなければならなかったのかまでは恥ずかしながら知りませんでした。

 

歳を重ねると、その分だけ知識は増えます(逆に忘れることもありますが😅)

しかし、机上の知識よりやはり現地に行って触れた内容は身にしみるものだと改めて感じました。

 

家族旅行をするなら、子どもにとってはナントカ資料館よりテーマパークやリゾートの方が面白いとは思います。

しかし、現地の資料館や特産品に触れることは社会の勉強にもなりますし、教養を深めることにもつながります。

 

伝統工芸ひとつとっても「丸亀はうちわ、鳴子はこけし、盛岡は南部鉄器…」と覚えてもいいんですが、そのうちいくつかでも現地に行って触れてみたらそれが生きた経験として子どもの心に残ることでしょう。

 

次回の家族旅行は、日本の「何か」に触れる旅はいかがでしょうか?