こんにちは!
今回は長崎に戻った時の事についてお話しします。
母親の肺がんの知らせを聞いてから親に会うまで、いろいろなことを考えました。
自分は親にとって誇れる子どもだろうか、自慢の息子だろうか。
自分はこれまで親孝行をちゃんとしてきただろうか・・・
そして、これから母は、どれくらい生きることができるのだろうか。
こんなことを考えていました。考えて考えて気持ちがどんどん塞がって、もう頭がごちゃごちゃになっていきました。
そして、金曜日の最後の授業を終え、駅へと走り、長崎へと向かいました。
電車の中では母は元気にしているだろうか。電話では元気と言っていたものの、肺がんと診断されたことを僕に隠していたように、本当は元気ではないんじゃないだろうかと不安で不安でいっぱいでした。
長崎駅につき、家に到着しました。母の様子は少し疲れたような顔をしていましたが、大きく変わった様子はありませんでした。母の顔をを見て、安心と不安どちらの気持ちも生まれました。
ただ、一人で色々勝手に考えていた時よりもいくらか気持ちが落ち着きました。
母は僕に、「最初にがんって聞いたときは、あと何年生きられるかなって考えてばっかりやったけど、同じ状況でも14年生き続けとる人の話ば直接聞いて、元気になった」といっていました。
僕の母にもそうなってほしい、それ以上生きていてほしいと心の底から思いました。
また「これから四年か六年か大学に通う分のお金はお父さんの給料からちゃんと出せるけん、そこは安心してね」を言われまいた。自身が辛い時にまで僕の将来を想ってくれた「母」という存在とはやはり大きいものだなと感じました。
今回は長崎に戻った時の事についてお話しします。
母親の肺がんの知らせを聞いてから親に会うまで、いろいろなことを考えました。
自分は親にとって誇れる子どもだろうか、自慢の息子だろうか。
自分はこれまで親孝行をちゃんとしてきただろうか・・・
そして、これから母は、どれくらい生きることができるのだろうか。
こんなことを考えていました。考えて考えて気持ちがどんどん塞がって、もう頭がごちゃごちゃになっていきました。
そして、金曜日の最後の授業を終え、駅へと走り、長崎へと向かいました。
電車の中では母は元気にしているだろうか。電話では元気と言っていたものの、肺がんと診断されたことを僕に隠していたように、本当は元気ではないんじゃないだろうかと不安で不安でいっぱいでした。
長崎駅につき、家に到着しました。母の様子は少し疲れたような顔をしていましたが、大きく変わった様子はありませんでした。母の顔をを見て、安心と不安どちらの気持ちも生まれました。
ただ、一人で色々勝手に考えていた時よりもいくらか気持ちが落ち着きました。
母は僕に、「最初にがんって聞いたときは、あと何年生きられるかなって考えてばっかりやったけど、同じ状況でも14年生き続けとる人の話ば直接聞いて、元気になった」といっていました。
僕の母にもそうなってほしい、それ以上生きていてほしいと心の底から思いました。
また「これから四年か六年か大学に通う分のお金はお父さんの給料からちゃんと出せるけん、そこは安心してね」を言われまいた。自身が辛い時にまで僕の将来を想ってくれた「母」という存在とはやはり大きいものだなと感じました。