SHOWMAN〜4番目の影武者〜を見てきました。
充くんの言うように、ALIVEツアーと被る部分も多く、最後は涙。。。
(ALIVEツアーも、SOPHIAライブが約25年ぶりで涙でした。)
ネタバレなるのであまり詳しくは書きませんが、主人公ネブラが、
迷い悩み生き抜いてきた自分の人生を振り返っているのを見て、
私も振り返りたくなりました。
誰もが悩みや苦しみを抱えながら、迷い生きている。
過去を昇華させられたらいいな。という想いも込めて。
私は、奈良のとある街に父と母、妹の4人家族の中で過ごしました。
裕福な方ではあったとは思いますが、普通のよくある幸せな環境ではなく、
大人になってから知ったのですが、機能不全家庭というものでした。
母は、いわゆる「毒親」「バンパイア」と呼ばれるような人でした。
私の言動全てにおいて、全否定、肯定された記憶ないです。
それどころか、言葉の暴力を散々浴び(人格否定、人権侵害)、後頭部はちょっちゅう思いっきり
叩かれ、黄色い星が回ったこともあるくらいでした。
小学時代に見ていたよく覚えている夢は、生きたまま棺桶に入れられて燃やされ、熱くて棺桶の蓋を
ドンドン叩く、それと、ナイフを持った殺人鬼に追いかけられ、逃げまくる。
たまにスモールライトが出てきて、小さくなったことも。だと、バレにくい(笑)
また、小学生の女の子を殺した夢を見た時は、あまりにもリアルで、どうやってこれから私は
生きていけばいいのか、、、って本当に悩みました。歯が全てガッサリ抜ける、もよくあり。
現実と夢の境目が曖昧になって、これは現実なのか?と、起きている自分をつねったり、
顔を叩いたり、鉛筆で刺したりしてました。
唯一、救われたような、安心できた夢(実際に行っていたと思われるが)がありました。
身体から何かが抜けて(魂?)、上に上昇して行き、暗闇の中に点々と無数の白い物が
見える空間にプカプカ浮いてました。熱が出た時に見てた。と言っても、2、3回だけ。
めちゃくちゃ心地よくって、行ける感じが来る時が分かっていたので、キタキタ〜ってなって
上昇してました。大人になったら行けなくなったけど、20代前半に1度だけ行けて、
それ以来行けてません。。また、行きたいです。
まともな愛情を受けられなかったせいか、妹からは、「お姉ちゃん、孤児院育ちみたい」って
言われました。ま、そうですね。家で、自分のことなんて話すこともなかったですから。
母と妹が喋っているのを聞いてました。
言葉の暴力には、私が言い返せずに、その代わりに、手元にあるものを投げつける
ということをしてました。ティッシュの箱、リモコン、電話とかですかね。
あとは、ストーブ蹴ったり。玄関のガラスの扉を蹴破ったこともあります。
今では、考えれませんが、家庭内では、器物破損をしてました。
一番最初が、3歳の頃。大人になって聞かされたから記憶にあるのか、
それとも私の記憶に残っていたのか、、、が定かではないですが、
結構リアルに覚えてるので、記憶に残っているのでしょう。
何を母から言われたのかは、さっぱり覚えてないですが、夏頃だったと思います。
ガラスの体温計(水銀入り)を投げつけて割って、めちゃくちゃ怒られ、
買いに行くように言われて、でも喋れないから紙に書いたのを渡すように言われ、
近くのお店へ一人で行きました。3歳の初めてのおつかい(笑)
当時、横断歩道がなかった、それなりに交通量のある道路をどうやって渡ったのか
全く覚えてません。。
そして、これは、全く記憶がなく、母から言われてびっくりしたこと。
とんがった鉛筆で母の手首を刺したそうです。その芯が入ったままだと。
ランドセルを片付けず、玄関に置いていたら、外に投げつけられて、
中身が外に飛び散って、それを拾った思い出。
エネルギーを奪われすぎて、高校時代は、学校へ行くのが精一杯。
友達もほとんどいなく、ほぼ記憶ないです。
当時めちゃくちゃ流行っていたミリオンセラーすら知らず、
大人になってから知りました。
唯一、ドラマのエンディングで使われていたB‘zの「alone」という曲に
ハマって、B‘zだけは聞いていて、周りから驚かれました。
めちゃくちゃ影の薄い、暗い人って感じだったので(笑)
土日は、寝込んでるか、自宅の花壇で土いじりか、階段に寝転がって
空と木を眺めてました。さすがに後頭部を叩く行為は無くなっては
いたのですが、母が私の近くにある棚を開けようとして、手を伸ばした
瞬間、叩かれる!と思って身構えたことがあって、よっぽどトラウマに
なっていたようです。
昼まで寝てたら、母にいつまで寝てるんや!って、脇腹に蹴りを
入れられたこともあります。
父から愛情を受けられなかったことで、母の中にもいろいろな不満や苛立ちが
積もっていたのでしょう。そして、その矛先が私に向いていたのかもしれないと、
大人になってから気づきました。
けれど当時の私には、そこまで頭が回らず、本当に生きることが辛く、漫画で出てきた
主人公のように、私はどっかの国のお姫様とか、別に親がいるのでは、とか
妄想したり、現実逃避することで、なんとか生き延びれてきたのかもしれません。
誰も相談できる人はおらず、空や木など、自然たちに救われてきて、
なので、今でも大好きです。
私は、母の着せ替え人形かとも、思ってました。高校進学、仕事など、全て母が決めてました。
そういえば、子どもの頃の服も母が選んだのを着ていた。なので、大人になった頃、
自分の好きな色すら分かりませんでした。
成人してからも、私への攻撃は収まらず、挙げ句の果てには、
私を娼婦よばわり。なぜかというと、単にノースリーブの服で外に
出ようとしたら、「男誘ってんのか?娼婦か?」って言われました。
あと、ダサいとも言われましたね。「妹はセンスいいのに、あんたはダサい」とか
もっとキツイ言い方で。「あんたは世間で生きていけない」とも言われましたね。
いつか、私が母を刺すか、刺されるのでは?とも思ってました。
(理性までは崩壊してなかったようで、包丁投げなくて良かったです(笑))
20代前半は、リストカット(軽めだけど)やってたこともあります。
また、いっとき、霊現象にもずいぶんと悩まされていました。
家が、参道にあるせいか、霊の通り道になってたのか、、
加えて、当時の私は精神的にもかなり不安定、波動も低かったので、
そういうものを感じやすい状態だったのかもしれません。
首絞められたり、ポルターガイスト現象あったり、着物を着た上半身だけの
髪を結い上げた女性が、ちょうちん持って、私の足元を横へ移動してたり。
そのせいで、塩とお札持ち歩いてたこともあります。
足首掴まれて、女性の白い手が見えた時は、ギャー!!ってなりました。
多分、生き霊もいたかと思われます。
減ったとはいえ、40代後半まで続いていましたが、最近はなくなったので、安心しています。
そして、ずいぶん大きくなってから、反論できるようになったので、言ってみると、
「反面教師にしたらいいやん」って言われました。
あ、この人、ダメやな。
何言っても無理、分かり合えない。そう諦めた瞬間だったのかもしれません。
(今は、短時間であれば、問題なく会話してます(笑))
ま、一般的になら、家を出るのでしょうが、、、完全にエネルギーを奪われてしまって
いたので、そんな気力もなく、あの頃の自分は、逃げなかったんじゃなくて、
逃げるためのエネルギーすら残っていなかった。
29歳の時に、母が脳出血で倒れ、半身不随になり、少し攻撃が弱まりました。
酷いと思われるかもしれませんが、かわいそうとか全く思わず、「ヒステリックやから、ほんまに
切れたんやなー」って、どこか他人事のように思ってました。
30歳のの頃、母が家に帰ってくるとのことで、バリアフリー工事したり、
専用ベットなど入れるために、部屋の掃除をしなければならなく、ガッサリ
捨てました。母も病んでいたのでしょう。部屋は物に溢れ、薄暗く、布団の上には
たくさんの服、そして、レシートが山のようにありました。
こんなゴミのようなところで寝ていたとは、驚きました。
それから約10年、ヘルパーさんの力をお借りしながら、私は仕事をしながら
母の面倒を見てました。わがままなお嬢様育ちの母は、自分は動けないから、
代わりに人を、自分の思い通りに動かそうとしてました。
なので、最初の頃は、何度もヘルパーさんが交代する羽目に。
そして私も、仕事から疲れて帰ってくると、やってほしいことリストが
玄関に置いてあり、うんざりしてました。
そして39歳の頃、いろんな要因が相まって、自分の暮らしをよりよくしたいって思って、
家の中にある不要な物を片っ端から捨てたのでした。
私と妹の大きな勉強机、二段ベットなど、大きな家具。一部は親戚の叔父さんにも
手伝ってもらいました。いやーあんなパワーどっから出てきたんでしょうね。
近所から引越しするの?って言われる位、何度にも分けて捨てました。
で、少しは快適に実家で過ごせるかと思っていたら、なんと、私が家を出る選択を
していました。詳しくは覚えてないですけど、知り合いの不動産屋さんを紹介してもらい
あっという間に家を決めて、保証人が必要で、父に連絡しなければならなく、
この時に、初めて父の携帯の電話番号を知りました。
出るとも何の相談もなく、父に保証人なって欲しいっていきなり電話で
言いましたが、全く驚くこともなく、承諾。ま、私に関心ないからでしょうかね(笑)
あ、でも、今では父とは仲良しです。
(父からは連絡してこないし、私からも用事がない限りしないけど(笑))
39歳にして、やっと自分の人生を生き始めた。
家を出てからの話や、その他の人生については、次回へ続く。。。

