ウズベク料理になっているキムチ | klubnika's notes

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徒然なるままに国際情勢把握と美的追求を、美味いものもだ、常々考えているが現実は非なり。 モスクヴィチカ通り28番地のアパート55号室元住人のつぶやき。

ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスのバザールの片隅でキムチを必ず見かける。特にウズベキスタンのタシケント、ミラバットバザール周辺には韓国食材店が多いし、バザールには当然ですがキムチやキンバップ(海苔巻き)が売っている。そしてタシケント郊外には高麗人コミュニティが存在する。

東アジアの高麗人がなぜ中央アジアに居住するようになったのか、それはスターリンによる第二次世界大戦前の強制移住よる。

1931年3月、満州国が建国されるとソ連邦の指導者スターリンは、沿海州に居住する高麗人(朝鮮人)住民が日本のためにスパイ活動を行なっていると考えるようになり、1937年末までに沿海州に居住していた36,442世帯171,781人(wiki)の高麗人が、対日協力の疑いでソ連邦の中央アジアに集団追放され、その多くがウズベキスタンとカザフスタンに強制移住させられ、灌漑農業の発展に寄与した。

つまり、ソ連邦沿海州の朝鮮族(高麗人)が強制移住させられ、その際にキムチをウズベキスタンに持ち込み、根付いたということ。