David Bowie が続いてるんで、しばらく彼で行こうと思います。


一番はまったのは7年前ぐらいだけど。。。。


なんで好きになったんだろ。そうだ、マンソンからだ。


X JAPAN→マンソン→ボウイ→RDHD→スミス→???


うわぁあ…

 

単純だ…


 

付け加えますが、この大御所ばっか聞いてたわけじゃないですよ。

この方たちは、「さすが大御所」って事もあっていい曲いっぱい書いてますから。


でも、昔聞いてた曲を今でも新鮮に、「やっぱりいい曲だ」って感じられるのが嬉しいです。

最近は…

TOOL

Mars Volta

Tonny Bennet


結局大御所ですけどね。


んで今回はボウイのThursday Child



面白いPVですね。今のボウイが若かりし頃の自分を重ね合わせて思惑してる仕上がりです。


心配しなくても今でもカッコ良すぎるよ。


今いくつ?50代後半であることは確か。


ボウイはあまりにもBIG NAME過ぎて…書ききれねぇよ…


1947年1月8日、イギリスのロンドン南部ブリクストンに生まれた。

本名はデヴィッド・ロバート・ジョーンズ(David Robert Jones)。

音楽活動を開始してしばらくはヒットに恵まれなかったが、1969年、アポロ11号の月面着陸や前年の映画『2001年宇宙の旅』の公開などで宇宙への関心が高まる中、シングル『スペイス・オディティ』が全英チャートの5位まで上がり、初の大ヒットとなる。

1970年代前半には、アルバム『ジギー・スターダスト』などでグラムロックの中心的人物として君臨する。

『ジギースターダスト』時代は山本寛斎の衣装も多く取り上げ、73年には初の日本公演を果たしている。

そのときは極度の飛行機嫌いのため船で来日し、シベリア鉄道で帰っている。

この「ジギー」時代のライブはボウイのダンサー、パフォーマーとしての才能が発揮されたライブパフォーマンスを展開している。  「ジギー」を演じることをやめ、バンドを解散してギタリストでありアレンジャーでもあったミック・ロンソンとも離れ、次第にファンクに傾倒していく。その頃、75年にはジョン・レノンとの共作シングル「フェイム」で全米チャート1位を初めて獲得する。

しかし、その後のボウイはショービジネスにおけるスターとしての役割・演技に対して心理的に距離を持つようになり、アメリカを離れベルリンでひっそりと音楽作りを始めた。

ブライアン・イーノが制作に加わった『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』は「ベルリン三部作」と呼ばれ、一部のファンはこの時期のアートロック的な作品を最高傑作とみなしている。また、80年代に活躍した様々なアーティストに与えた影響力は大きい。なお、78年には2度目の日本公演を行っている。『ヒーローズ』、『ロジャー』、『スケアリー・モンスターズ』にはキング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップも制作に加わっている。

一転して1980年代はナイル・ロジャースをプロデューサーに起用したアルバム『レッツ・ダンス』はキャリア最大のメガヒットアルバムとなり、ファン層を広げた。

1983年の『シリアスムーンライトツアー』では新しいファンをも取り込んでの大規模なワールドツアーを大成功させ、カルトヒーローからメジャーロックスターに座につくことになった。ただこのころから以前のようなカルトなアーティスティックな作風からポップロック路線へと作風が変化するが、迷走と模索の時期といえる時期である。この頃のボウイは俳優としても出演が多い。

1989年、ボウイはゴージャスなサウンドとステージからイメージチェンジをはかり、シンプルなロックバンド「ティン・マシーン」を結成。アルバムを3枚リリースする。その後、過去のベストヒットメドレー的なコンサートとしては最後と銘打って『サウンドアンドビジョン』ワールドツアーを行い、過去の総決算を果たそうとしたが総花的で躍動感に欠けるとの評価もあった。

1993年にはモデルのイマンと再婚。

ナイル・ロジャースと再び組んで6年ぶりのソロアルバム『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』を発表。1995年には今度はブライアン・イーノと再び組んで『アウトサイド』をリリース。

メジャーロックスターには珍しくコンスタントに作品を発表し、時代の実験的なアプローチを導入し、復調の兆しをみせる。そして2003年にはアルバム『リアリティ』を発表し、大規模なワールドツアーを開始する。その中で8年ぶりの来日公演も果たした。


Best of Bowie (2pc)