人を好きになるということ。


はっきり言うとわからない。


他人は他人であり、

自分は自分である。


それは決定的なことで、

それ以外に、相手に何を求めるか。


僕は、セックスでしか繋がれないような気がする。


セックスは汚らしいものか?


僕はそうは思わない。


愛着があること。


これは好き嫌いよりも次元が上にあると思う。


愛着はどう育まれるか。

僕は愛着はセックスでしか感じたことがない。


言葉は無意味なことが多い。


借り物の言葉で信用はできない。


セックスに依存するようになっている?


それ以外に人を好きになることはできないのかな。


よくわかんねえや。

人に、よりよく自分を見られたい。

そういった行動を繰り返すことは

愚者の習慣である。


僕は、人に良く見られたい。


やさしい、力強い、異性にモテる、リーダーシップがある、

人づきあいが良い、仕事ができる…


数えたらきりがない。


そんな風に自分は見られたい。


現実は逆。



冷たい、強引、異性が怖い、イザというとき逃げる、

人の誘いが断れない、仕事ができない。


そんな自分は、とっくの昔に


周りにばれている。


わかってるのに、それを蓋して

カッコつける。


愚者の習慣。


そんな自分が嫌い。

だから

恋人が疎ましい。

愛されることが気持ち悪い。

愛されるってなに?


わかんね。

愛されるのって怖くね?

でも、愛されるってわかんね。


繊細さは必要だよね。

ただ励ますだけの人って

動物にしか見えん。



そんなこと考える前に、

生まれついた能力はどうすることもできん。

それをカバーするだけの技量を身につけるよう

努力しようと思う。

楽しいことの後は空しい。


空しいことを埋めるために、

楽しいことをする。


埋めてもまた無くなってしまう。

心に器はあるのか。


脳が見るこの世界は、

僕にとってよく見えていない。


自己価値感覚が低い。

自己修正もあまりうまくいかない。


人といても満たされない。


スポーツ、アウトドア、飲み会、音楽


楽しいことのあとは、空しい。


人生は暇つぶしの連続か?


機械的放出。

自分から出る言葉も、すべて借り物。

既製品。


空しいね。