「阪神淡路大震災」から17年が経ちました。

ちなみに、去年、一昨年に何を書いていたのか。
振り返って読んでみました。

昨年は、
ギックリ背中で、1週間も動けなかった。
そんな最中だったみたいです。
2011年1月17日

一昨年は、
当時のことを振り返って綴っていました。
2010年1月17日

それより前の年になると、震災のことには触れていなかったです。
おそらく、何か思うところがあって、あえてだと思います。


17年と言う歳月は、長いようで短い。
そんな、どっちとも言えない時間軸の中で、
またしても大震災が起きてしまいました。

もちろん、この17年の間で、
長野、新潟、岩手、宮城、三陸南、十勝沖、鹿児島、鳥取、芸予、
紀伊半島、中越、能登、福岡、静岡。。。
挙げればキリがない程の大きな地震が起きています。

僕らが住んでいるこの場所は、火山列島の上である事を、
改めて気付かされました。

北アメリカプレート、ユーラシアプレート、
太平洋プレート、フィリピン海プレート。
この4つのプレートが交わる場所が日本なんだから、
動いて当然なんだろうね。
だからこそ、3,000mを越える峰々が、こんな狭い国にある訳です。

いつ、どの場所で巨大地震が起きてもおかしくない。

世界的に見れば、地震慣れしている国なんだろうけど、
その割には、ひとりひとりの防災に対する危機意識が低い。
自分を含めてですが。

棚などの下に耐震ゴムを挟んでいたり、
非常用の水やライトを揃えてる人が、一体どれだけ居るのか?
俺は、せめてこれぐらいはやっています。

日本人特有の「対岸の火事」気質というか、
同じ国で起きている事でありながら、フィードバック出来ない。
原発や原発事故に関してもそう。


阪神淡路大震災。
俺は実際に、住んでいた家が倒壊した訳でもないし、
家族や、直接の友人が亡くなった訳でもない。
そんな俺でも、17年前に体験し、目にした惨状を、
克明に覚えています。

東日本地震で、実際に家や故郷を失い、
家族や友人を失った方々は、これからもずっと克明に、
心に痛みを覚えたままなんだと思います。

街などの、いわゆる外堀は復興するけど、
人の心は、受けた傷を「無し」には出来ない。
時間の経過と共に、その傷の上に、違う層を重ねていくしかない。

明日は我が身。
日本全国の方々が真摯に受け取るべき、大きすぎる教訓です。