山での出会いは一期一会。
だからこそ、その時に交わした短い会話や、
その時の相手の表情を、鮮烈に覚えているのかもしれない。
今回の雲取山の山行では、実に多くの言葉を交わしました。
連休と言うこともあって、
登山者数が平常より多かったのも事実ですが。
なにより、自分自身がオープニンマインドだった気がします。
地元のおばちゃん、大学生の合宿登山軍団、
カップル、おじさん同士のパーティー、家族、
山小屋の臨時番をしていた登山家のおばちゃん。
中でも印象的なのは、この方です。
この人と朝に会ったから、今日の登山は間違いない。
そう思えた、花のような女性。
登山口近隣に在住の、俺の父親と同じ歳のおばちゃん。
おばちゃんの娘さんは、俺と同年齢と言うことで親近感。
お墓に花を備えに行くおばちゃんの歩幅に合わせて、
花の話や、地元の話を、受身になって聞く。
坂を登りながら話しているので、息が上がり会話が切れ切れ。
それでも、おばちゃんは話してくれる。
程なくして、おばちゃんはお墓の方向へ、
俺は山中へと向かう為に、笑顔でお別れをしました。
夕方。山中から下山して麓までもどってきた時。
偶然にも、そのおばちゃんが家の前で水やりをしていた。
色とりどりに咲く花々に水をやる手を休め、
朝の続きのような、そんな会話を交わしました。
日帰りで下りてくるって言ってたから、
そろそろかな?それともすでに下りてしまったのかな?
心に留めておいてくれた事が嬉しい。
偶然、水やりの最中に家の前を通過したのも何かの縁だろう。
おばちゃんとの会話で登山が始まり、
おばちゃんとの会話で登山が終わる。
うちの父親と同年齢ってことは、
物理的には、先の人生は長くないはずです。
近い将来、登山口までの間の軒先に咲き乱れる、
色とりどりの花々の、手入れをする人が居なくなるかもしれない。
そう思えた時に寂しさを覚える。
様々な山を越えてきて、人生の終盤を生きている。
その結果、花のように朗らかで明るい。
俺もそんな大人に成りたいのです。
疲れた体に、フワッと巡り来る回想。
広島に住む母を思う。