今年も桃の節句がやってきました
先週末にやっっと飾った雛人形ちゃん
出すまでは面倒だったけど、飾ってみたらやっぱり華やかで可愛くて、娘の顔に似ている気もして、もっと早く出せばよかったな〜と、思います
一度でも出すのを諦めるとなし崩しに毎年出さなくなりそうなので、娘の雛人形も息子の五月人形も、遅くなっても必ず出すというのが自分の中での約束です
私は典型的な息子贔屓の母ですが、娘も可愛いんです。
実際、2人の赤ちゃん時代を比較すると可愛かったのは明らかに娘の方でした
デカくて重くて、目が顔に埋もれてて、寝てるのか起きてるのかわからない目つきのドスコイbabyだった息子(←言い様w)に比べ、目がキラキラでよく笑い、愛嬌満載の娘はとにかく可愛くて
息子は、我が子としてもちろん可愛い赤ちゃんなんだけど、2人を比べると、やっぱ愛らしいという感じだったのは娘だったな〜とひとりで納得していました
そんなに可愛いくてたまらなかった娘なのに、片付けも明日の用意も勉強もなかなか取りかかれず、忘れ物だらけ、指摘すると泣く叫ぶ暴れる、こだわりが強く神経質、、、という特性が徐々に目立つようになり、育てる事に難しさを感じるようになってしまいました…
一方で喋ったり動いたりと自分を表現できるようになった息子は大らかで機嫌が良く、娘の事で参っていた私にとってはただただ癒しの存在に

夫が言うには、「俺と花子(仮)は間違いなくADHD」、らしいです。
そして、「感情的になる俺と花子を見下すmamaの態度が、花子を傷つけている」とも。
私は夫の感情的なブチ切れと娘の癇癪が嫌いですが、夫のその言葉は確かにそうかもしれないと思いました。
娘の苦手な事や困った事ばかりに目がいってしまい、私の中では娘は困った子で息子はいい子という構図ができて、娘が傷ついていたのでしょう
本当は2人とも同じように可愛くて大切なはずなのに。
出来てない事ばかりを指摘するのは我慢し、イラつく娘の気持ちに共感し、苦手な片付けや準備、宿題は余裕のあるうちに一緒に取り組むようにすると、少しだけ落ち着くように。
そして最近は更にまたずいぶんと落ち着いています
理由は単純で、嫌々やっていた習い事をいくつかやめたこと
娘はマルチタスクが苦手で完璧主義。
やりたくない事が山積みの状態でも完璧にこなそうとしてパニックを起こすので、タスクが整理された事で落ち着きました。
残ったタスクに丁寧に向き合う事ができるようになり、自信も持てるように
勉強も仕事も無理して頑張らないといけない時期は必ずあると思うけど、それは自分の意思で無理する事を選ぶのであって、親が過剰に無理させるのはちょっと違ったのかなと辞めてから思いました。
夫は教育を与えまくる事が親の甲斐性みたいに思っているけど、それを止めきれず娘をキャパオーバーにしてしまった私にも責任はあったと思います
同じ親から生まれた子でも、娘は発狂する様な課題でも息子は適当な感じにこなしていたりして、同じではないです
でもだからといってそれで娘の価値が変わるわけではないし、根暗な私と違って明るく気遣い上手なところや、正直で真面目なところ、嫌な事をきちんと拒否できるというところも含めて娘の良さなので、そこは認めて自信を持たせてあげたいですね
ちらし寿司でお祝い
年に一回しか作らないので毎年微妙に味が違う
まぁそんな事を色々考えてしまうのは、昨日子供達と一緒に映画ドラえもん空のユートピアを観たからなのかも
子供が親の言いなりになれれば家庭は親にとってユートピアなのかもしれないけど、子供は思考停止して大人になっても誰かの言いなりでしか生きていけないのかもしれないですね。
娘の良さを分かってくれる人は必ずいると思うので、自信を無くさず成長できるように寄り添っていきたいです
それでは